親が子に掛ける言葉は、遅効性。
#20241025-482
2024年10月25日(金)
ノコ(娘小5)が通っている学習塾では、家で取り組む計算問題集がある。
毎日1ページを目標3分で解く。慣れないうちは時間にこだわらなくてもいい。だが、解き方がわかれば3分で解けるようになる問題量である。
小学5年生は、目下「分数と小数」問題だ。
分数を小数にする問題5問、小数を分数にする問題5問の計10問。ノコは分数を小数にする問題の正解率は高いが、小数を分数にするのは問題は芳しくない。小数を分数にした後、約分をしない、帯分数にしないので正解にならない。
「惜しいよ。約分して、帯分数にしたら、丸をつけられるのに」
ノコの書いた答えを指差す。
「面倒くさッ!」
それでおしまい。
丸つけをしたら、もう見直し、解き直しはしないとわかっていてもページを開いたときに目に留まるかもしれないと赤ペンで一言書き添える。
――約分までしよう!
――帯分数までしてね
――約分に挑戦だ
――Go Go 約分!
こちらも掛ける言葉のレパートリーが尽きてくる。
それでもノコは相変わらず約分、帯分数をしない。
ほぼ全問正解の分数を小数にする問題でもたまに不正解がある。見れば、筆算では正解を書いているのに、解答欄に書く際に写し間違えている。数字が汚くてもまだ自分自身が読めていればいい。自分も読めないのなら、それは問題だ。
――写し間違えているよ! もったいない!
筆算に丸をつけ、解答欄にはそう書き添える。
「ママママ、ママママ、この間、塾の先生がね」
計算問題集を開いたノコがパッと顔を上げた。
「ママが書いたのを見てね、『お母さん、しっかり見てくれているね』っていってた」
肝心のノコには届いていないようだが、学習塾の講師は私の一言に気付いてくれたようだ。それだけでも、書いたかいがある。
「先生、気付いてくれたんだ。嬉しいなぁ」
思わずそういうと、ノコが急に負けずとばかりに声を張り上げた。
「私もね、知ってたし! ママ、偉いし!」
いや、そう思うなら、約分や帯分数までやってほしい。ノコは目ぐりぐりさせながら、まだいうべきことがないか探している。
「○○君のママはね、丸つけもしないんだよ。だから、うちのママはすごいし!」
よそのご家庭のことはよい。そのお家のやり方があるのだろう。
「そう思うのなら」
私はノコの頬を両手で挟んだ。キュッと寄せると、唇がピュッと尖る。
「かわいいタコちゃん、ノコタコちゃん、約分と帯分数もしておくれ」
「うぉれわぁいあなーおやーそー」
ピヨピヨと唇を上下に小さく開きながら、ノコが歌うが聞き取れない。
「なぁに?」
手の力をゆるめる。
「そぉれは、いーわなぁいーお約束-」
ノコが歌いはじめた。
「いや、そんなお約束してないってば」
どこでそんな言葉を覚えてくるのやら。
思わず力が抜けてしまう。
今後、学校や塾で約分、帯分数までする問題が出たとき、そこまでやらなければ不正解となる。
親以外の第三者に厳しい採点をされて、ようやく気付くのかもしれない。
ママが書いた一言なんてきれいさっぱり忘れているかもしれないが、それでも「あ」と気付くときがくるかもしれないと、今日も私は一言を綴る。
親ができることなんて、即効性がないことばかりかもしれない。
あとからじんわり、他者がからんだときに思い出すのかもしれない。それは勉強に関わらず、日常の些細なことも含めてだ。
将来の「あ」を願って、今日も今日とて私はノコに遅効性の言葉を送る。
そして、親が私に届けてくれた「あ」に思い当たって、苦笑する。
じゅんぐり、じゅんぐり。
巡っている。