それぞれの時間を持つための下準備。
#20230811-195
2023年8月11日(金)
人生100年時代だという。
折り返し地点を過ぎた私としては、100歳は近いような遠いような実感のない年齢だ。100歳まで生きるのか、今の体力を振り返ると甚だ怪しいが、一応視野に入れておいたほうがよさそうだ。
子どもが小学4年生ともなれば、しばらく家にいた母親たちも働きはじめる人が多い。
私の子ども時代と異なり、ここ数年、共働き家庭が主流になっている。私たち夫婦が里親登録した頃から、共働き夫婦の登録も増えてきている。
まだまだ親の手と目を求めているノコ(娘小4)を養育中のため、私は今すぐに外で働くことは考えていない。時折、少し親と離れる時間を持ったほうがノコも自分のことを自分でできるようになるかと心が揺れることもあるが、ノコの場合満たされない気持ちが強くなりそうだ。
――今はまだノコのそばにいて、しっかり見ていたほうがいい。
今はそんなノコだが、あと数年もすれば親よりも友だちと遊ぶほうがよくなり、1人外出の時間も長くなる。心と目は依然必要だろうが、おそらく手は掛からなくなるだろう。
いつもやりたいことがある私だが、「ハイ、今日からノコさんは手が掛かりませーん!」と宣言されるわけではないので、今から少しずつ下準備はしておきたい。
ノコと私、それぞれが集中できる時間があれば過ごしやすくなる。
今はまだノコは私がノコ以外のことに気持ちが向くと、気に入らず、何かと注意を引きたがる。つまり中断させようといつも以上にからみ、邪魔をする。
学校があるときならば、ノコがいない間に私のことを済ませればいいが、夏休みなどの長期休業日になるとそうはいかない。
長期休業日が居心地よくなれば、私も楽になる。
「仕事」は、必ずしも賃金が発生する働きではない。
いつまで続くかわからないが、ここ半年noteの記事を毎日書くことを自分に課している。
ノコが夏休みに入ったからといって中断したくない。そうかといって、ノコの就寝後に書くとなると、夜の私は眠くて眠くて1文字ごとに夢の世界へ行ってしまう。できれば午前中に書きたい。
ノコが文句たらたら不機嫌顔で宿題をやっているダイニングテーブルの向かいの席で、私はノートPCを開く。
私が目の前で集中していれば、ノコもつられるかと思いきや、やはりそうはいかない。
「ママ、何やってんの」
私がPC画面に集中すればするほど、ノコは落ち着かなくなる。向かい側から画面を無理矢理グラグラ揺らしたりする。
「お仕事」
「なんで、なんで、ママ、お仕事はじめたわけ!」
ノコが怒鳴る。
集中すれば、1500字の記事を1本1時間で書くことができる。
何時間もくれとはいわない、1時間でいい。ちょうだい。
「ママママ、ママママ、これわかんない。っていうか、宿題やんなくちゃいけない? やりたくないんですけど。やらなくていい?」
いや、もう、ノコのからみが一気に激しくなる。
「ねぇ、ママママ、ママママ。TV見ていい?」
「ママにきくんじゃなくて、宿題の計画表で確認してね」
「ヤダし。面倒くさいし」
「ママね、これお仕事なの。11時までに仕上げなくちゃいけないんだ。それまでノコさんも宿題に集中しよう」
1銭も発生しないが、仕事だ、仕事。
バン!
ノコが乱暴にテーブルを叩く。
苛立たしげに私を睨んだまま、鉛筆を握り、すさまじい筆圧でノートに書きはじめた。
同じ空間にいるけれど、ノコはノコのこと、私は私のこと、それぞれがそれぞれのことができる小さな一歩になる、ならない、なるならないな……