娘の「やらない」にどういった姿勢で臨んだらいいのだろうか。
#20231010-255
2023年10月10日(火)
「ノコ(娘小4)にあれこれいうなっていうなら、俺、ノコに興味なくすよ」
夕方、仕事から帰ったむーくん(夫)がため息まじりでいった。
今朝もノコは朝食を食べずに登校した。
朝に取り組む習慣がついていた音読(学校の宿題)と3分の計算問題(学習塾の宿題)もやらなかった。2週間後に漢字テストがある。それに向けて勉強するというので用意した漢字のプリントも白紙のまま、なぜか連絡帳と音読カードと一緒に床に落ちている。
「ママママ、ママママ、外、行っていい?」
学校から帰ると、朝にやるべきだった音読と計算問題、漢字プリントもやらずに公園へ行きたがった。ちょっと前の私なら、ノコがドンドンと足を踏み鳴らそうが、私をギラギラと睨もうが、「やるべきことをやってからね」と外へ出さなかった。
もう……それも疲れた。
「『行ってくるね』といってちょうだい。『いい?』といわれたら、ママは『いいわよ』っていえない。だって、『いいわよ』と返事したら、ノコさんが朝にやるべきことをしていないのに遊びに行っていいとママが許しているみたいだから」
「じゃあ、行ってくるね!」
聞いているのか、いないのか。こまかな言葉のいいまわしなんて関係ないのか。
ノコはドアをバタンと閉め、今にも雨が降りそうな鉛色の空の下、公園へ駆けだして行った。
ややして、バツバツと音を立てて大粒の雨が降ってきたがノコは帰ってこない。まだ帰宅時刻でないからか。子どもの声が聞こえるので、遊び相手がいる限りギリギリまで遊んでいたいのだろう。
むーくんの方がひと足早くずぶ濡れで帰宅した。ノコが公園にいるというと、ぽたぽたと水を滴らせながら玄関ドアを開けて公園を見やった。
「……あれ、か」
「ノコさん、朝ごはんも食べなかったし、朝にやるべきこともしなかったけど、そのことについてはいわないで様子を見てもらえるかな」
そういっておかないと、むーくんは公園から帰ったノコに「朝ご飯はちゃんと食べたのか?」「音読はやったのか?」「計算問題は?」「漢字の練習は?」と矢継ぎ早に問うてしまう。そして、ノコはたちまち不機嫌になり「パパ、大嫌い!」と部屋にこもる光景が目に浮かぶ。
そこでむーくんが冒頭の台詞を口にする。
――ノコにあれこれいうなっていうなら、俺、ノコに興味なくすよ。
わかる。
むーくんの気持ちはわかる。
関心があり、少しでもノコに心地よく過ごしてほしいと願うからこそ、先の未来が予想できるからこそ、それを避けてやりたくて口を出してしまう。今やらねば、困るのはノコだ。困るか困らないかは実際はノコが感じることだが、宿題をやらずに登校すれば先生に注意され、ノコは「怒られた」と憤慨する。「先生が嫌な気分にさせた」と怒鳴る。
ノコに関心を寄せない。
ノコがどうなっても気にしない。
ノコに心おだやかに過ごしてほしいと願わない。
むーくんのいう通り、そうしていいのなら、私だってノコに対して心安らかに何もいわずにいられる。笑顔で接することができる。
だが、ノコに無関心でいたいわけではないのだ。
目下、私が――いや、私とむーくんが抱える悩みは、どういう姿勢でノコの「やらない」と向き合うかだ。こちらが苛立たず、ノコを心のなかで見捨てることなく過ごすためには、どういった心意気で臨めばいいのだろう。
ノコはビショ濡れの泥まみれで、約束の帰宅時刻ちょうどにインターホンを鳴らした。
洗面所で濡れた衣服を脱ぎ、下着にTシャツ1枚になる。部屋着の短パンを穿くよういってもパンツ一丁のままだ。
今日はむーくんも私も何もいわない。
宿題のことも、朝食のことも、だ。
ノコはもそもそと机に向かい、自主学習からはじめることにしたようだ。自主学習は課題も自分で決めねばならないため、ノコにはハードルが高い。そこにある問題を解くだけのドリルのほうが勉強のエンジンをかけるにはいいと思うのだが、前に「勉強する順番を決める自由もないわけ」と返されたため、いわない。
集中のきっかけは人それぞれだ。
学習漫画の読書感想文を書くつもりのようだが、続きの巻へ手が伸び、何冊も何冊も読みだしてしまった。
何ひとつ終わらないまま、時計が22時を指した。