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『インプットはアウトプットの最大値を規定し、アウトプットはインプットの最小値を規定する。』

(このNOTEは3分で読めます。約2,600文字)
『インプットはアウトプットの最大値を規定し、アウトプットはインプットの最小値を規定する。』という言葉を聞いたことはありますか?

この言葉は、百マス計算の生みの親である隂山英男かげやま ひでおさんの言葉です。

このNOTEでは、隂山英男かげやま ひでおさんの言葉の意味合いを考えます。また、この言葉について私が上司に話したときに言われたことについて書きます。

✅1、『インプットはアウトプットの最大値を規定し、アウトプットはインプットの最小値を規定する。』

1-1、インプットはアウトプットの最大値を規定する。

自分が何かをアウトプットするとき、アウトプットできることの最大限はどこになるのでしょうか。

それは、インプットになります。

自分がインプットした以上にアウトプットすることはできません。例えば、AとBを結び付けてCをアウトプットする場合です。Cは、もともとAとBなのでインプットしたAとB以上のことはアウトプットできません。

本をたくさん読んだり、まだやったことがない領域に踏み込んでいくことの重要性はここにあると思います。今までインプットした情報で自分自身はできており、インプットした情報以上のことはアウトプットできません。アウトプットを最大化するためにインプットを増加させる必要があるのです。(もちろん、インプットに対するアウトプット効率を上げる、ということも考えられると思いますが。)

1-2、アウトプットはインプットの最小値を規定する。

アウトプットできることの最大はインプットになることを説明しました。逆に、アウトプットは、今まで自分がインプットしてきた情報量を保証します。アウトプットできたことは、ちゃんとインプットできたと言えるのです。

インプットしたけどアウトプットできないものは、自分では『インプットした』と言えるけれど周りから見たらちゃんとインプットしているか分かりません。そういう意味では、周りから見ると『インプットしていない。』『インプットしているか分からない。』となってしまいます。

私は本をたくさん読みます。私自身インプットしている意識はあります。しかし、皆さんは私がどれだけインプットしているかよく分からないはずです。例えば私が『FACT FULLNESS』について語ったら、『あ、この人はこれだけのことはインプットできているんだ』と分かるはずです。つまり、アウトプットはインプットの最小値を規定します。

✅2、インプットとアウトプットのずれを最小化する

当然のことながら、インプットとアウトプットは多くの場合一致しません。100個の英単語をインプットしたとしても、100個の英単語がアウトプットできるわけではないのです。

これは高校の期末試験を思い出すとわかりやすいと思います。試験のために教科書を何回読んでも、テストで100点をとれるわけではないんです。

インプットとアウトプットを一致させるためには、アウトプットを意識的にインプットに近づける必要があると思います。方法としてはシンプルです。インプットしたことを自分の口で説明できるようになればアウトプットできていることになります。

例えば、ある仕事について誰かから説明を受けたとします。これではインプットしただけです。説明を受けた仕事を他の誰かに説明したとします。アウトプットがちゃんとできれば、その情報はちゃんとインプットできたことになります。

インプットとアウトプットにはずれがあります。アウトプットを意識的にインプットに近づけることによって解消することができます。

✅3、周りの人から見えているのはアウトプット

『日本人ほど勤勉な国民はいない』と書いてある本をよく目にします。本当にその通りだと思います。皆インプットはめちゃめちゃするんです。私自身もそうです。

しかし、インプットはめちゃめちゃ重視するのに、アウトプットへの重視意識が足りない傾向があります。ちなみに、ここでいうアウトプットは、結果成績などではなく、外面化した行動などを指します。

重要なのは、アウトプットこそが他人から見られているということです。これは評価の話にもつながります。インプットをアピールしてもしょうがないのです。なぜなら、前半でも書いたように、どれだけインプットをしているかは他人からは見えないからです。見えているのはアウトプット側です。

インプットとアウトプットに乖離が大きく、インプットを重視している人は「こんなに頑張っているのに、なぜ思った以上に評価が低いんだ」と自分の評価に不満を持つと思います(※もちろんどれだけインプットをしたかを見ている評価者はいると思いますが)。

周りが見ているのはアウトプットであるということを意識することが重要だと思います。インプットとアウトプットはずれがあり、意識的にその差を埋める必要があります。

✅4、ディレクターにこの話をしたら『そんなの当たり前』と言われる

前章までに記載した話を上司にしました。

『それって至極当たり前のことだよね。』と一蹴されました。言ってはいませんが、『社会人にもなってそんなことを言ってるの?』と顔に書いてありました。

若干私がショックを受けたことを察して『当たり前のことを言語化したところに意義があるのかもしれないね。』と言っていましたが、『なにを当たり前のことをさも名言のようにどや顔で社会人になって言っているんだ。』と思っていたことでしょう。

人による、ということが大前提ですが、ディレクターレベルだとこんなことは当たり前なのでしょう。私は当たり前にできていなかったからこそ『インプットはアウトプットの最大値を規定し、アウトプットはインプットの最小値を規定する。』という言葉が刺さったのだと思います。

『そんなの当たり前じゃん。』と思えるレベルに早くなりたいです。

✅5、まとめ

私たちはインプットした以上のことをアウトプットすることはできません。

アウトプットした内容は、当然インプットした内容なので、『インプットした』ということの証明になります。

インプット過多になっているときは注意が必要です。アウトプットしなければ、インプットしている内容がちゃんとインプットされているか証明することはできません。

『インプットはアウトプットの最大値を規定し、アウトプットはインプットの最小値を規定する。』

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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