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中退した娘がとても可愛い〜中退・不登校のお母さん、子どもたちに〜

娘が中退を前提に学校に行かなくなってから、はや1か月半(娘は小学校も4年間行かなかった)。

書く仕事が多い私は、最近、娘のことで時間を取られるように感じ、娘に苛立ちを募らせたり感情をぶつける時間が増えていた。

娘は友達はいるものの、本人曰く良いところしか見せられないらしく、私には存分に好きなことを話したり甘えたりしてくる。いつも何かを聞いてほしそうにしている。

しっかり聞いてあげたい気持ちはあるが、好きなアニメや趣味の話がやたらと細かくて、私に依存しがちな娘に疲れることも確かで、何日かに一回は外に出るとか、近所の祖母の家に行くとか、体を動かしたり太陽の光を浴びたりした方がいいと伝え、娘も辞めた罪悪感もあるようで、言われた通りしていた。

そしてここ最近は、祖母の家に行って、こもって勉強してくるといって連日出かけていたが、もしかして仕事をしたい私に気を遣って、出かけているのかも、と少し気になっていた。

案の定、娘は今日も祖母の家にいく予定をしてたが、私から、「無理して外に行ってくれなくても、お母さんも家で仕事できるようになったから頑張って出かけようとしなくても大丈夫よ」と伝えたら、私が集中できないと困るだろうから、出かけようとしていたと夜寝る前に話してくれた。

わたしは正直に、「確かに家にいるようになって、お母さんは仕事にどうやって集中すれば良いかわからなくて苛立ったけど、この環境に慣れてきたし、もう好きな時に家にいてくれて大丈夫よ。ここは、○○の家なんだから、出かけるのも居るのも、自分の自由にしてくれたらいいから。お母さん、最初は隣の部屋にいるのを意識しすぎて、集中できなかったけど、そのために出かけたり外にいる時間を作ってと言ったのは間違いだったし傷つけてごめんね」と伝えた。娘は、「どうすればお母さんを困らせないか、不登校の親の本を読んで、その気持ちをわかろうとした」と告白してくれた。夏目友人帖の舞台となった土地をテーマにしたYouTube番組も、友達ではなく、お母さんにだから見てほしいんだと言った。

私はなんてひどい親なんだろう。
こんなことさせるなんて、親ではない。人間としてひどい。

中退を認めたと口ではいいながら、その一方で、貴方のせいで困ってる、貴方が迷惑だ、と娘に言い続けていたのだ。

娘を深く傷つけていたと思った。
辞めた罪悪感を植え付けているのは母である私だと。私は自分の力を使っていく場所がない娘を急いで外にいかせようとした。ゆっくり、自分のペースで良いのに。せっかく私もやめる覚悟を受け入れたのに、また私のエゴを押し付けようとしていた。

高校は順調そうに見えた娘が、学校に行きたい理由がなくなり、ただただ自分を見失うような学校生活に苦しんでいたことはよくわかる。そんな娘を受け入れ比較的おだやかに過ごしているとはいえ、やはり、時々娘の自信満々で自由すぎる言動に腹立たしさを覚えたり、口喧嘩になる事がある。エネルギーのある16歳の娘のパワーを私だけが受け止めるのは無理だし不自然だ。

私も外の仕事を増やしたり外に出たりもしているが、やはり自宅はもともとわたしの職場でもあり、そこに、いくら学校生活が辛かったとはいえ、娘の時間が入り込んでくることは、とても暴力的な出来事であったし、いくら娘の行動を受け入れているとはいえ、私にはすんなり受け入れ難いことであった。

でも、時間がたつにつれ、娘が家でゆっくり過ごして楽しそうにしている姿に、私もほっとする時間が増えた。娘には、せっかく辞めたんだし、辞めてよかった、満足したと思えるように、小さなことでやりたいこととか好きなこと、なんでもいいからしたらいいやん、と伝えるようになった。

毎朝不機嫌て、青い顔で吐き気を我慢しながら高校に通っていた生活は、娘の限界に近い我慢のうえに成り立っていた。それが無くなった今、娘の顔には明るい笑顔がもどり、美味しそうにご飯を食べている。お昼ご飯が食べられない、と楽しみにしていたお弁当を残し始めた頃、もっと早く気づいてやればよかった。

私は、表面にだけでも上手くいけば良い、と二度と不登校にならないようにとの願いを隠しながら、娘を嘘の励ましで送り出していた。

私の本当の願いは、娘が毎日笑ってご飯を食べていること。心の命が死んだまま、生きないこと、だった。その願いが叶った。娘は今、私のそばで安心して勉強し、アニメを楽しみ、友達とも出かけ、家族とも笑って話す。大学進学にも意欲的だ。本当に、これで良かったと思う。

私たちはお互いに本音をぶつけ合いながら、成長している。私はたくさん間違うが、その都度間違って娘を傷つけ、そして娘に許されている。母として育ててもらっている。

周りをものさしにしないで、あくまで娘を主体として見守ることがこんなに難しいとは。

私の希望を叶えるから娘が可愛いというのは、嘘の愛情だ。それは自分が楽をして、何もせずに良い親であることを周りに認めさせたいだけ。

本当の愛情は、娘がどんな希望を持っていようと、ただそれを認め自由でいさせてやること。親の要望や期待を押し付けることではない。ただ、目の前にいてくれる子どもを愛するまなざしでみつめてやることだ。

不登校や中退で悩んでいるお母さんやお父さん、子どもたちは言えなくて苦しんでいます。親にさえ苦しめられいることもあります。せめて家が、子どもたちにとっての唯一安全な、温かい場所でいられるように、してあげたいものです。子供たちにとって、唯一理解者でいてもらいたいのは親だと私は思います。

でもそのために親御さんがいきなり理解者になろうと無理したり、理解者でいるために一方的な努力をする必要もなくて。分かり合えないことを前提に、わかる部分から、子どもさんと本音を伝えあう、もしそれができないなら本音を話す誰か(誰でもいいんです、おかしなカウンセラーや専門家なら、普通の友人の方がいいです)、信頼して気持ちを解放できる誰かを見つけてください。

必ずいます。
ご自身の普段の身近な幸せ(美味しいご飯や好きな服、大好きな趣味は必ず続ける)と、守られる場所を確保してください。

不登校や中退は、子どもたちが自分の人生やいのちを守るための唯一の方法です。

家で過ごす子どもたち、今の生活を楽しんでくださいね。誰にも気を使わなくて大丈夫です。
家にいられるようにしてくれているお父さんやお母さんは、言葉ではひどいことをいろいろ言いますが、誰よりもあなたを愛していて、可愛いと思うから一緒にいるんです。喧嘩でなくても、伝えたいことがあれば、静かに伝えて、わかっていけるといいですね。









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