挨拶は一歩ずつ:〇〇で始める子どもの挨拶
今日から義実家宅へ帰省に来ています。やや人見知りの我が家の子どもにとってはちょっとした難関である『親戚への挨拶』というハードルの発生です。
我が子の挨拶事情
我が子はいま小学校1年生。少し前までは親戚への『こんにちは』『ありがとう』が言えていた(意味もわからず言っていた?説もあり汗)のですが、少しずつ自我のようなものが目覚めているのか、最近はうまく言えません。
もちろん、周囲への挨拶ってコミュニケーションのためには『出来たほうがいい』テクニックの一つではあるのですが、この手のものは本人が『大事だから出来るようになりたい』と思わないとおそらく意味がないのと、私もなんだかんだ親戚への挨拶は子どもの頃苦手だったので無理強いは出来ずにいます。
私も親から何を言われずともきちんと挨拶が出来るようになったのは中学生くらいになってからだと記憶しています。なぜ出来る様になったかと言うと、中学で入部した部活の習慣で、先輩に挨拶するのが強要ルールにされていたからです。
(とはいえ、中学の部活は部活で理不尽極まりなく、私は先輩たちのことが苦手だったので、あのような経験を人間たるものすべしなどとは正直思っていません。)
きょうの帰省でも、子どもは親戚からお年玉を貰っうシーンがありました。子どもが何も言わずに受け取ろうとしたので、私から『何か言うことあるんじゃないの?』とひっそりとささやき女将のように声かけましたが、子どもはモジモジして何も言おうとしません。
正直個人的には困ってしまいました。一応小学校1年生ですし、お年玉貰ってありがとうくらいは言って欲しいなぁと私は期待してしまい、若干子どもにイラッとしてしまいました。
そんなとき、義母(子にとっての祖母)が『じゃあこれを使ってみようか!』と言って、手近にある紙を丸めて筒状にしました。筒を子どもの口と義母の耳に当てて、『糸電話』のような要領で小さな声でも義母の耳に届くようにしてくれたのです。
『小さな声でも大丈夫』というのが子どもにも安心材料になったのか、子どもは無事に筒越しに義母へありがとうを言うことができ、提案した義母も、ありがとうを言えた子どもも嬉しそうにしていました。
大きなことをスモールステップで進めること
今回の挨拶の一件を見て思ったのは、自分にとってハードルが高いなと思うことでも『小さな一歩』に分解して少しずつ進めることの大切さです。
自分の勉強や仕事では『スモールステップ』を意識することはあれど、育児の文脈ではあまり意識したことがありませんでした。
そのため、『小1たるもの挨拶出来るべき』などと勝手に期待して、『うちの子は挨拶が出来ない。。』と私が勝手に落胆していた構図です。子どもにとっては『The・知らんがな』と言ったところでしょう。
今回は義母の機転で『スモールステップ』を育児にも意識するよう気づけたので、今後も子どもに向き合うときに使えるエッセンスだなと感じました。
それではまた!