本日の本請け(2024.7月)
毎月、読んだ本の感想とそのときの飲み物などを記録に残しています。
『なんで死体がスタジオに⁉︎』森バジル(文藝春秋)
この方の一冊目が面白かったので、二冊目も購入。
Amazonで森バジルと調べると自動的にガチの「バジル」の検索結果に飛ばされるてしまい購入ページに辿り着くのにちょっとかかりました(笑)。
そのタイトル通り、崖っぷちのテレビプロデューサーが生放送前のスタジオで死体を見つけてしまう、生放送は止められない!という話。
このヒリヒリ具合、オールナイトニッポンの生配信演劇「あの夜を覚えてる」を思い出しました。
ただ、ラジオという深夜に孤独な人間に寄り添ってくれて、メールとしゃべりでリスナーと双方向のやりとりのあるラジオと比べて、テレビという視聴者に向かって言うなれば一方的に届けるテレビという媒体を扱っているせいか、なんというかダイレクトに「面白さ」で殴ってくる感じがありました。
一日で読み終わったくらい小説としては面白いんだけど、ちょっとエグくて、語り手のお笑い芸人が滑ってしまう描写で一回ちょっと読むのをストップしたくらい。
あと、表紙的にもあらすじ的にもプロデューサー視点のドタバタ?みたいなのを想像してたら、主な語り手が違ってあれ?となったのもある。
文句なしに面白いし、演劇とかでやってほしい!
けど、「殺人」に関しての倫理観のゆるさとも言えるものがちょっと個人的に許容できなかった。
『マーリ・アルメイダの七つの月 上』『マーリ・アルメイダの七つの月 下』著・シェハン・カルナティラカ 訳・山北めぐみ(河出書房新社)
1990年のスリランカが舞台。
カメラマンのマーリ・アルメイダは、突然冥界のカウンターにいた。自分が死んだときの記憶はない。与えられた猶予は七つの月、その間に自分を殺した犯人を探し、写真とネガの在処を大事な人たちに伝えなければと奮闘する。
発売直後に購入し、読み始めたのだけど知らない固有名詞が多すぎて一旦置いてました。
今月に入りもう一度読み始めたのですが、まあとりあえずわからなくても読み進めていたら、最初の方に出てくるアメリカの記者への主人公が渡したメモというのがあり、ここに出てきている単語からスリランカの歴史を調べて、読み進めることができました。
下巻の訳者のあとがきに概要が書かれています。もしも私と同様「お、おう……これ読み通せるかな?」ってなった人がいたら、訳者あとがきを見ることをオススメします。
二人称形式の語りで、主人公マーリは「おまえ」と呼びかけられます。
読みにくいかと思えば、それがしっくりくる。乗ってきたらテンポよく読み進むことができました。マーリの皮肉度合いもちょうどいい。
マーリがどうしようもないけどいいやつ、という感じだったから最後まで一緒に行けた、という気がします。ギャンブラーで節操がないんだけれど、父親に対する満たされたない執着とか、母親に対する甘えとか、ふたりの大事な人たちが本当に大好きだったんだなとか、本当に写真の力を信じていたんだなとか……。
「おまえ」と呼びかけるのが誰なのかは人によるのだろうけど、いつの間にか私が「おまえ」とマーリに呼びかけていた気がする。
マーリを殺したのは誰なのかというミステリー的な面白さもありながら、総じて愛の話だな……と満足感のある読了後の後味でした。
読了後、思わずスリランカカレーを食べに行きました。
スリランカのニュースをいろいろ見てしまいました。内戦後も、災害やコロナ禍による観光産業の衰退などもあり……マーリの写真にあった動物たちや自然の美しさが見ていないけれど目に焼きついた気がして、これからも気にしたいなと思いました。
『ダチョウはアホだが役に立つ』塚本康浩(幻冬舎文庫)
安住アナのラジオを聴いていて、ゲストの人の話が面白過ぎて購入してしまいました。
ラジオのときの口調のまんま、全編関西弁で書かれていてめちゃくちゃ面白い!
一日で読み終わってしまいました。
文庫化にあたって書き足されたことや、ダチョウファンの俳優さんとの対談も収録されています。
読んでいるうちにダチョウが見たくなって、見に行ってきました。
筋肉や爪まではわからなかったなー。
本当はニセコのダチョウ牧場に行ってみたかったんですが、やっぱりちょっと遠くて断念。2羽しかいない動物園と比べて、ホームページちょっと見ただけでうじゃうじゃいてびっくり。
『ロバのスーコと旅をする』高田晃太郎(河出書房新社)
SNSで見かけて、この人はなに!?と思って調べて本を購入しました。
この著者の方、現在、ロバと一緒に旅をしながら日本を歩き、北海道にいるようです。ちょうど自分も以前行った場所で写真を撮っていたので勝手に親近感が沸いたりして。
この本は日本を旅する前、ロバと3カ国を旅した様子を収めたものです。
こちらで刊行によせてを読むことができます。
イラン、トルコ、モロッコの3カ国をずっとロバと共に歩いたエッセイ。
この著者が持った、歩けばどこにでも行けるんだ!という感覚、自分も散歩好きなのでわかる気がします。できるかは置いておいて、いいなあこんな生活、なんて思ったりもします。
でも旅で出会う人たち、とても親切だけど特定の人種に対する偏見もあって、ああ、どこに行っても人間って……とも思ってしまいました。
スーコの名前を最初に考えていたものから助言により変えた話は元の名前案と合わせてちょっとうーんとなり、また、最初のロバの扱いとか、見た目がちょっとなあってなるところとか、ところどころ「えっ」と思ってしまったところがありました。でもそれはたぶん、私がこの国のこの社会で生きているにあたって、動物との関係って動物園で見るものとしてやペットとして、しか関係が発生し得ないからなんだろうなあ。
飼い主として認められていなかったという話がちょこちょこ出てきますが、「飼い主」の意味合いが、この人と私のそれでは全然違う。
例えば下で読んだ『猫社会学、はじめます』で猫はいるだけでいいとなっているけれど、このロバはいるだけでは困る。荷物を運んで歩いてくれなければ仕方ないわけで。
動物と人間の関係って、たくさんあるんだなと思いました。
本の中にたくさん写真があるんだけど、ロバが動いているところが見たくて動画を探しました。思っていたより足がすっとしててかっこいい。
『猫社会学、はじめます』編著・赤川学 著・新島典子、柄本三代子、秦美香子、出口剛司、斎藤環(筑摩書房)
SNSで見かけた本。面白そう!と思って買いに行きました。
こちらで序の内容を確認できます。
第一章の猫の魅力七つで赤べこのように頷きまくり、猫カフェ、猫島、漫画の分析。
漫画の分析を読むのが好きなので、第四章のマンガ・サザエさんの中での猫の扱いの変遷が特に面白かったです。
私自身、幼いときから猫を飼っていて二十年ほど共に過ごし看取りました。今でも猫は大好きですが、現代になり、動画で猫についてをいろいろ見ていると、癒されると同時に自分の猫の飼い方を振り返って冷や汗が出ます。炎上案件です。同年代で同じく猫を飼っていたという人と話していて、「昔はもっと適当だったよね……」という会話を交わしたこともしばしば。
ペットが死んで学校や仕事を休んでいい、という風潮でもなかったように思います。この本の猫というものの社会の扱い方の変遷についてを読んで、なるほどなあと思いました。
興味深ったのは第五章。相手の考えていることがわからなくても、コミュニケーションは取れる、という部分。これからAIとの付き合い方などでも応用できる、とあって感心しました。勇気づけられます。猫社会学、盛んになるかも。
『百年の孤独』著・ガブリエル・ガルシア=マルケス 訳・鼓直(新潮文庫)
「百年の孤独」を初めて知ったのは、恐らく中学生のとき。
貴志祐介『青の炎』を読んでいるときに出てきたのです。主人公が父親を殺すときの罠をしかけるときに使うのが、「百年の孤独」という焼酎とカラスミでした。
この本は私にとってかなり、特別な読書体験だったのですが、それでこの焼酎と食べ物まで鮮明に覚えています。その後、大人になりかけのときに食卓にカラスミが上がって、かなり興奮して「青の炎に出てきたやつ!」と説明したのを覚えています。まだお酒もよくわかってなかったので、カラスミの味自体は「?」でした(笑)。
焼酎の方は飲む機会がなかったのですが、名称の元ネタが小説であったことはなんとなく知っていて、文庫化するというニュースを見てへえ、となりました。
ちょっと買ってみようかなと思っていたら店頭にありません。在庫を調べて唯一あった店で購入。そんなにすごい本だとは露知らず。果たして読み通せるかな?と考えていましたが、杞憂でした。すごく面白かった!
マジックリアリズムというものを知らなかったのですが、現実的なものと非現実的なものを混ぜて描く?という手法をとったもの、とざっくり理解しました。
確かにありえないことは起こるけれど、そういうものなんだな〜と受け入れつつどんどん読めました。
最初、開いて家系図を見たときに、アウレリャノ(17人)と書いていて「17人!!???」となりました(笑)。
読み進むにあたってはこの読み解き支援キットを活用しました。
前に戻りたいときにどの場面だったっけ?が探せる。
登場人物がわからなくなったときはこちらのサイトの再登場時にわかりにくくなる人物の一覧や、登場人物に番号を振ったサイトを見ていました。
マコンドという都市?村?地域の中で、客を呼び込んで騒いだり好き勝手もしたりしているのに、なんだか誰も満たされていない。
「孤独」はこの一家の宿命とされているけれど、みんな孤独だなってなんだか思ってしまいました。
夏の暑い最中に読むのがぴったりでした。
私が特にわかる〜となってしまったのはアマランタ。
幸せになれそうになると断って、それを繰り返してしまうところが。
本当は愛しているのにその愛を受け入れることができないというよりか、現状を変化させることがどうしてもできなかったのではないか……と、遠い目をしてしまいます。
ラテンアメリカは詳しくはないと思うのですが、私の頭の中にマコンドができてしまった感じ。登場人物たちがする突拍子もないことや、仲良くないのに一緒に暮らしてるところなどにツッコミをずっと入れ続けながらもぐいぐい読んでしまいました。
上述の『マーリ・アルメイダの七つの月』の書評でもちら、と『百年の孤独』を見かけたりして、自分にとって今読むタイミングだったなと大満足。
読み切った!という達成感がかなりあります。海外小説、やっぱり面白い。他もいろいろ読んでみようと思います。
『『百年の孤独』を代わりに読む』友田とん(ハヤカワノンフィクション文庫)
『百年の孤独』を読んでいる最中に書店で見かけて購入。並行して読んでいました。まず『百年の孤独』本体を一章読んで、この本の該当するところを読んで、という感じ。
誰も分け入っていない山中を進んでいる中で、先に進んだ誰かの足跡を見つけた、そういう気持ちになる本でした。
出てくるドラマなどのネタが古くてあんまりわからないものばかりだったんだけれど、それでもなんかそこにあるおかしみは通じて面白かった。
こんまりが出てきたときには声出して笑ってしまって、それまで「?」があったんだけど。このあたりでようやくこの本をどう楽しめばいいか腑に落ちた感じがします。あ、面白がっていいんだな、みたいな。
『百年の孤独』を読み通せなかったらこれを読んで読んだことにしようかな、と思ってたんだけど、特に問題なく読めたし、自分が本を読んでいるときに他のことを考えていることがあることを言語化している、とも感じてまさに「代わりに読む」だったなと思いました。
『今昔続百鬼 雲』京極夏彦(講談社)
去年、京極堂シリーズに新刊が出るからとえいやっと一気に電子で購入して、無事新刊が出るまでに本編は読み終わったのですが……。
間に合わなかった外伝ものをちびちびと読んでいて、このたびようやく、大人買いしたもの全てを読み終えることができました。実はこの本は5月からちょっとずつ読んでいまして。
夏になったらおばけの季節だからか、一気にいけました。また、去年新刊が出る前にと必死に読んでいた勘を取り戻せたのかも。
本編にも少し顔を出す多々良先生と、その旅の連れ、沼上が語り手となって物語は進む。行く先々で迷子になりながらも、多々良先生は妖怪のことばかり。的外れだったはずの妖怪談義が、いつの間にか謎の答えになっていて……という展開。
にくめない主役ふたりに引っ張られ、ついついめくる手が止まらなくなります。京極堂シリーズ本編よりコミカルで、ご都合主義だけど、またそこがいい。
これで一括で買ったものをようやく全部読んだという開放感に浸るのも束の間、京極夏彦さんがもう新刊を出していて末恐ろしくなりました。
読書のお供は、水木しげる展に行ったときのお土産のプリンです。
中は写真撮影ほぼほぼできなかったのですが、唯一撮れたのがこちらのぬりかべ(笑)。
元の資料と、水木さんが描いた妖怪の絵を見比べられてすごく面白かったです。