本屋に行きたいけど行けない、そんな夜に
本屋に行きたい。
仕事がなんだか忙しくて残業が続き、最寄り駅の本屋に着く頃にはすでにその日の営業を終了している。
仕事はなるべく、ぎゅっと業務量を圧縮して少ない時間と負担で片付けるように心がけている。しかし圧縮しても何度タスク管理しても、どんどん次の仕事がこちらの許可もなくやってくる。
気付いたら毎日終えるタスクよりも新たに入ってくる仕事のほうが多い。不法侵入はなはだしい。即刻立ち退きを要求したい。
基本的に人と関わるのが苦手なので、仕事中は社会性という仮面を被ってコミュニケーションをとる。仕事が増えるにつれて他者とのコミュニケーション量が増えるので、息をつく暇もない。私の対人キャパシティは既に限界点を超えている。
でもそんな相談を上司にでもしてみれば、「対人コミュニケーションに難あり」と捉えられるかもしれない。上司に弱みを見せたら死ぬ病にかかっているので、それなら仮面を被る方を選ぶのである。北島マヤのスキルが欲しい。おそろしい子になりたい。
そんななか、ストレス発散の場が本屋である。
本屋は良い。雑誌コーナーをざっと見回し表紙を飾るイケメンと美女どもに胸をかき立てられても良い。漫画コーナーで胸をときめかす新刊がないか目を凝らしても良い。文芸コーナーで心惹かれるタイトルに吸い寄せられても良いし、資格本コーナーでこんなスキルがあったら私も上司をぶっ飛ばせるかしらんと妄想をしても良い。
そして何よりも、自分の知らない作品の多さにわくわくする。本棚を巡り物色しているうちに、自分が読みたいと思える本をピタリと見つける感覚は何にも代え難い。前前前世から君を探していたような錯覚に陥ることもある。実際に読んでみてめちゃくちゃ面白かったらドーパミンがすごいことになる。本はノンカフェインのエナジードリンクである。翼をさずける。
自身のこれまでを振り返ってみると、行動範囲の中に必ず本屋があった。実家から自転車で爆走して5分の距離には地元密着型の本屋があったし、高校に進学すれば、最寄り駅から自宅まで寄り道できる本屋は2軒になった。
片道2時間の通学時間を費やした大学時代は、2回ある乗り換えのタイミングで複数の本屋に立ち寄れたし、何よりも大学が位置する場所にはたくさんの大型書店があった。
一人暮らししているときは、乗り換え駅の池袋で朝は早く夜は遅くまで開いている、駅直結型の小型書店があったのでほぼ毎日顔を出していた。
つまり本屋は生活とともにあった。
ところがどっこい、現在の職場から自宅まで片道1時間半もの道程があるにも関わらず、立ち寄れる本屋は最寄り駅のみである。職場近くには本屋はなく、乗換駅にもない。途中下車したとて駅から本屋まで距離がある。生活とともにあるはずの本屋が、生活圏のなかのごく限られた場所にしかないのである。
「本屋に行けないなら電子書籍でいいじゃない」というマリー・アントワネット的発言はすべからく拒否である。もちろん電子書籍は活用している。先日、調べたら電子書籍アプリに400冊以上の漫画が格納されているのを見て、多少びびり散らかすくらいには活用している。
この前、どうしても阿川佐和子さんの『聞く力』が読みたくなって電子書籍で買おうとしたが、気付いたら何故かカレー沢薫氏の『人生で大事なことは、みんなガチャから学んだ』を買っていた。なぜだ。分からん。落差がすごい。
そんな感じで電子書籍にもお世話になっているが、でも本屋のあの空間と本という存在が好きなのである。
様々な著者の素晴らしい思考と言葉が詰まった本たちが、本屋というひとつの箱にちょこんとおさまっていて、気になるものがあればそっと手に取って文章を眺められるのが素敵なのだ。その体験は、やっぱり他の何ものにも代え難い。
そんなわけで、わたしはいまとても本屋に行きたいのである。明日は仕事が早く終わりますように。