できないんじゃなく、やらない…にしたいです。(写真コンプレックス)
Instagramを見ていると、本当にステキでオシャレな写真が沢山目に飛び込んできます。
自分自身が、消費者としてもカフェが大好きで、いつでも次に訪れてみたい空間を探しているので、そんなステキな写真達を眺めていると、「すごいな~」と、呆気にとられてしまいます。
一方で自分のお店は、SNSでの積極的な発信を控えていることと併せ、お知らせの為に発信する場合でも【わかりやすい写真よりも、わかりにくい言葉を】と念じて営んできました。
なぜなら当店は、お客様の来店動機を徹底的に絞り込みたいと考えているから。
本当に至らない点ばかり、しかもお客様の理想のお店ではなく、わたしたちにとっての理想のお店を目指して道半ばながらも歩んでいるので、
わたしたちと似た価値観の人以外にご来店いただいても、きっとご満足いただけない。
「たまたま見つけたから」「たまたま近くにあったから」「なんだかオシャレそうだから」「なんだか美味しそうだから」といった動機でご来店いただいても、きっとがっかりさせてしまう。
なので、SNSでの投稿にも、基本的に商品(食べ物)の写真を用いないようにし、文章が面倒なほどに長い。もしくは、退屈するような長い動画を。
この記事を書いていて、過去のInstagramの投稿を見返してみましたが、やはりパッと見での華やかさやオシャレさ、わかりやすさなんかは皆無で、なんだかオジサン(僕のこと)がひたすら落ち葉を燃やしていたり、薪を運んでいたり、雪かきをしていたりと、そんな来店動機に繋がらない長尺動画の投稿ばかりでした。笑
(このオジサンは、店内では話し相手にはならないのだし)
ずっとそうして、写真というものを不要のものとして距離を置いてきました。
でも、Instagramで他店のステキなお写真を眺めている時に、自分の胸の底の暗い深部で、なんだか気持ちの良くないもの、醜いかたちをしたものが、隠れながらも確かに【もぞり】と動く感覚がありました。
あっ。
これは、嫉妬だな。
そう分かりました。
ステキなお写真を撮ることができない自分が、ステキな写真でお店を表現できる誰かを、妬ましく思ったのだと、考えました。
『できないんじゃなく、やらない』
このお店は、そのように在りたい、そのように格好つけたいと思ってきた筈です。
↓そんなことに触れた以前の記事↓
マーケティングを、やらない。
業務の効率化を、やらない。
やらないために、やりかたをたくさん勉強してきました。
過去に、他店で思いっきりやった経験もあります。
でも、この写真というものに関して僕は、やり方も知ろうとしないまま、やらないということにして目を背けていたのだと思います。
ちゃんとできるようになってから、その上で「写真よりも言葉を」と言いたいと思いました。
ちなみに、例えば「他店のステキなお写真は、プロに頼んで撮ってもらっているんだよ。」「あなたはプロに頼むお金なんてないでしょう」ということもあるでしょうし、「ステキなお写真を自分で撮るには、高いカメラが必要なのよ。」「あなたは高いカメラを買うお金なんてないでしょう」という現時点での行き止まりが見えれば、諦めもついて、この醜い気持ちは消えるのだと感じています。
その場合は、滅茶苦茶に格好つけて、「写真は経済的に無理だったから、言葉で」と言えるのです。
現にこれまでだって、「〇〇は経済的に無理だったから、粗末な手作りで」を自慢げに格好つけて言い放って形にしてきたお店ですもの。
さて。現実問題、手元には亡くなった義父が使っていた、10年程前のデジタルカメラ Nikon D5500 という機種があるばかり。
これで、諦めがつくところまで挑戦できるだろうか?
取り敢えず、たくさん触れるようにしてみよう。