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青の時間

 フランスの映画監督エリック・ロメールに『レネットとミラベル/四つの冒険』という作品がある。

 避暑地を自転車で巡っていたパリっ娘のミラベルが未舗装の道でタイヤをパンクさせてしまい、往生しているところへ、田舎娘のレネットが通りすがって、パンクを直してやったのが縁で、ミラベルは数日、レネットの家に泊まることになる。田舎の良さをあれこれ数えるうち、とっておきの時間を案内してあげる、となって、何日目かにようやく二人して「青の時間」を体験するのだが、その「青の時間」というのが、虫たちのすだきやみ、鳥たちのさえずり始めない、五分にも満たない静寂の時間なのだ。

 朝ぼらけに出現する、音の凪の時間。

 御年六十七のロメールによって活写される二十歳前後の娘たちの青春のひと幕に鑑賞者として目を細めつつ、ふと我が身を振り返れば、この「青の時間」こそは危機の時間なのであり、それこそ十代の終わりから今日まで、自ら鬼門と呼びなす時間帯なのである。



 鬼門とは風水にいう北東の方角を指すが、これは死者の通る道、すなわち霊道がこの方向に走るからで、古来中国では鬼といえば死者のこと、鬼籍という表現もこれに由来する。それが北東方向とはすなわち十二支にいう艮(=丑寅)の方角で、この字面に引きずられて、日本では鬼といえば牛と虎の意匠を借りた化物に変ゲした。そこにかつて東北地方を勢力範囲とした蝦夷(エミシ)の身体的特徴が加わった模様。
 私の場合、鬼門から連想されるのは、手に金棒、虎柄パンツに牛角の異形のものでなくして、やはり霊、霊というよりは魔、これが北東から来てこちらの身体をすり抜けて魂を一部掠め取る、というよりも、魔に手を引かれて死界の門前に立たされる、というイメージなのだ。虫の声がひとつ、またひとつ、と消え、直後に訪れるまったき静寂において、視線を足元に落とせば、暗い穴の縁がぎりぎりのところに迫ってきている。縁を越えればなにもかも楽になる、安堵を得る、そういざなわれ、いざなわれして、すんでのところで、鳥たちに救われる。朝のおとないを正確に予告する彼らこそ、だから、人を魔の手に委ねない天の使いの祖型であると納得されもする。

 翼あるものたちよ。
 祝福あれ。


 書店に久しく足を運ばないのは、どうしても学術書のコーナーが気になるからだった。
 前々から予想していたことではあった。しかしそれは案外早くに来た、という印象。新刊の背表紙に、かつての同僚の名がちらほら見え始める。かつて講義のあとで学生ラウンジに集まり難読書とされる分厚なものを、鳩首して遅々として読み進めた仲間の誰彼が、著者として、監修者として、あるいは訳者として名を連ね始めたことが誇らしくもあり、しかし転じて我が身を思えば、いたたまれないのも道理である。
 妬ましい、ということは、ない。ない、と思いたい。その世界で立志はできぬ、と飛び込んだものの水が合わなくて途中で放擲したのはほかならぬ自分の決断だった。そういう決断が、研究の徒たるを諦めるのほかに、二度、三度ある。周囲の落胆の声にはいっさい耳を貸さなかった。それを今更後悔しているのだろうか。いや、そうではない。そうではないはずだ。
 だが。
 この一年、夢見が悪い、とふと思い当たった。この一週間、と書こうとして、いや、一年にはなるのではないかと思い当たって、愕然としているのでもある。
 かくも長く。
 悪い夢。
 中途で私が放擲した場なり仕事なりに関わる人々が、夢で私をさいなみにくる。いや、あからさまにさいなむのではない、そこに居るだけで、私にはさいなみと感じられるのである。
 立て続けに見るわけではないのだ。ただ、似たような夢を見続けている、とはやはり思われるのである。

 悪夢は人に話すが良い、とは物心つく頃から聞かされていた。それがいわば世間知だろうと思って疑わなかったのが、あるとき、怖い夢を見たの、と言われて、どんな、となに気なしに問うと、言うわけがない、と拒まれて、話せば楽になるでしょうよとこちらはあくまで軽いノリで水を向けるのだが、訊かれれば訊かれるほどに貝の蓋は閉じていき、図らずもその人の心のうちにある穿ちようのない岩盤に触れ、戸惑い、おののいて、ムキになり、こちらのことば数が増えれば増えるほど向こうはいよいよだんまりで、喧嘩といえば喧嘩だが、そんなことがあってほどなくして、関係は終わった。
 言えば本当になる、と向こうは信じたのかもしれない。言霊思想からすれば、悪夢はみだりに人に話すな、が正しい気もする。

 それとも、聞いて私が傷つくような夢だったのだろうか。どの道、私に係り合わない夢だったのであれば、あんな話ぶりにはならなかっただろう。結局のところ、彼女にとってその悪夢は正夢になったのか、ならなかったのか。そういう別れ方もあるわけだ、とずいぶんと時間が経ってから得心したのも、迂闊といえば迂闊だった。


 男の頬に平手を食らわしていた。二度、三度と。男は受け入れて、ひるまなかった。反撃を予感させる静まり。私は頬をはたいてから、腰から抜けるようにして後ろざまに落ち、落ちたら歩道で笑い転げているのだった。どうやら正体なく酔っ払っているらしい。周りは男女とも勤め人のなりをしているが、私だけランニングをするような軽装なのがどうにも訝しい。夜のランニングの途中で、かつての職場の人間たちが会食を終えた店の前を通りがかって、そこで鉢合わせになって、積年の恨みをようやくにして私が晴らすという図に見えないこともなかった。夢として見ている当の私は、男の、すなわちかつての部下の、左斜め後ろに控えていて、彼がはたかれたのと、私が路面に笑い転げているのと、ひとつの視界に収めている。有能で誠実な男で、恨むところなどつゆにもあるわけがなかった。今頃は、幹部候補として帝王学を授かってなんら不思議のないような男だった。それがこんな形で夢に現れるとは、どんな因縁だろう。前の職場のことが最近耳に聞こえたというならまだしも、なんの前触れもなく、男は夢に現れた。

 寝覚めの悪いそのほかの夢について、ここに仔細に述べる愚は犯すまい。夢判断などされてこちらの浅薄な了見を探られるのもなんだかだし、他人の夢を聞かされることほど退屈なこともないと言う御仁のあるのを知らないわけではない。
 ただ私としては、寝覚めの悪さの余韻として、どうにも夢における誰彼の身体の質感が、妙に生々しく尾を引くようなのを、どれにも共通してある項だということだけは、ここに留めておきたい。
 ニキビの跡がありありと見えることもあったし、毛穴のひとつひとつがつぶさに見えることもあった。産毛が夜明かりをほのかに溜めていることもあれば、ほんのり引かれたチークの微小の粒がキラキラと光って見えていたこともある。脂の照り具合。一本一本の睫毛の反り具合。眼尻に寄る細かな皺。生え際のおくれ毛。あんなふうに部分が浮き立って見える見え方を、いまだかつて現実世界で対面して人の顔に感じることなどなかった。
 今、誰彼のことを思い出してみても、皮膚の質感まで辿れるような人間などひとりもいない。妻や子であっても、そこにいないとなれば、肉体である以前に曖昧模糊とした雰囲気にほかならず、毛穴や産毛のありありと想像できる確固たる実在ではない。

 なぜ夢の彼ら彼女らは、肉体、とりわけ皮膚の質感においてあれほどの生々しさで迫ってくるのか。あまりの生々しさに、虚実の境がにわかに判然としないこと度々である。寝覚めて天井をぼんやり見やりながら、論文の提出までまだ三ヶ月あるじゃないか、今から頑張ればまだ間に合う、と自らに言い聞かせている。動悸がやまない。いや、今はまだ五月だから、半年以上あるじゃないかとホッと胸を撫で下ろし、それも束の間、いやいやなにを言っている、もう俺は論文の締め切りを憂うような身の上ではとうにないではないか……とようやく思い出して、安堵するより憮然としている。

 虫が鳴きやみ、鳥も鳴き始めない青の時間に、きまって眠りは破れて、ふと手を伸ばせば奈落の縁がすれすれにある……と、どうにも心もとない短い時間を永遠のようにも感じながら、己のうちの拍動にじっと耳を澄まし、堪えている。脂汗が滲んで、これで鳥の音が聞かれなければ、私は私でなくなり雲散霧消するだろう、そう思って、もうその先はなにも考えられない。
 青の時間まで、まんじりともしない夜もある。

 小学五年生になる長男がバッハの「G線上のアリア」のピアノアレンジを日ごと練習している。日に日に上達していくのがわかる。つたないなりに、聴く者を釣り込む瞬間が、ままある。
 この頃では不眠の青の時間に、ふと、息子の弾くアリアの断片が、頭のなかで繰り返し鳴っていることがある。声にならない声で、私は唱和している。歌えば憑き物が払われると信じるかのように。

 陰に陽に、子に導かれて生きていく、ということも、これからはあるのかもしれない。

青の時間・了

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