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人生とは学び続けること

昨日の夜10時半頃、白ニャンに「一緒にねんねしょーね〜♡」と布団に寝転がりながらnoteを読んでいたら、娘が「私も眠い。寝よーかな」と言いながら喋りだした。

友達との会話からの、彼女のモヤっとする気持ちを話し出した。今日が休日ならば「朝まで生テレビ」で私が田原WAKU太郎にならねばならぬところだった。

夜中1時を回ったので「流石にもう寝るよ!」と念の為トイレに行き戻ってきたら「もう一つだけ!」と杉下右京バリに聞いてきたのでそれから30分オーバー。

18歳。自分というものを知る時。向き合う時がきた。壁を越えてステージアップする時。
彼女にいちばん言った言葉は「努力です」


【学校とは】

このテーマについてはずっと書こうと思いながらもタイミングが掴めず書かずにいた。

前に一度真面目に書いた時に「今じゃなかった」感が否めなかったので保留しておいた。

noteの交流の中で、子供の不登校に真正面から取り組み懸命に子育て、自分育てに奮闘している方々の姿に感動しながらコメントさせていただいている。

どれだけ泣いたことか。どれだけ怒ったことか。今も尚、心が安定する時間の方が少ないことを、自身の経験からよく分かる。

私の経験とは、自分が学校に行きたくなかった時の事と、上の娘(23歳)が引きこもりになりたい人だったということ。

娘の話は記事にすると何年もかかるのであえて書きません。自分が「学校に行きたくなかった」時に考えていたことを書こうと思います。

私が考えていたこと

小学3年の1年間、壮絶なイジメ(暴力)にあっていた頃だ。ぼんやりと窓から空を眺めて色んな空想をしていた。自分の中の別の自分と討論会をしていた記憶がある。

学校って何?義務って?権利って?
義務は「行かなきゃならない」権利は「行っていい」

「行っていい」ってことは行かなくてもいいんじゃないの?でも、行かなきゃ怒られる。じゃあ、権利じゃないじゃん。

とかそんな事をぐるぐる考えていたと思う。

当時は大昔の「学校」の定義は知る由もないので、中学生くらいでようやく「権利」の意味を知った。

行きたくなかった歴史は、学校ではなく保育園(当時は保育所と呼んでいた)の頃。行きたくなくて泣いて泣いて、引っ張られて無理やり連れていかれたという記憶がぼんやりある。

3月生まれなので、他の子よりもトロい。おもらししたパンツをビニール袋に入れられて持たされる事が恥ずかしかった。3歳の記憶。

友達から耳を引っ張られたり滑り台から落とされたりしたらしいが、それは記憶にない。きっとそれも嫌だったんだろうけど。

小学生になったら友達を作りたいと思った。内気な自分を変えたいと初めて思ったのが6歳。3年生のイジメを機に「変わってやる!」と思ったのが9歳。2回目の意識改革。

この辺の話は過去記事で書いたと思うのですっ飛ばして本題へ。


学び続ける


人間は学ぶために生まれてきた。一生学び続ける。その意味では地球が丸ごと【学校】

生まれてすぐ、人間が最初に学ぶ「社会」は「家庭」だ。どの親を、どんな家庭を選ぶかは自分が決めてきた。どんな環境の家庭であっても、自分が学ぶべき所に生まれる。家族という繋がりを経験した後に、初めて外部の人間と関わるのが「保育園▪幼稚園」そして【学校】


小学校

小学校は6年もある。この前まで赤ちゃんだった子が、6年後には親よりも大きくなったりする。体も頭も心も、日々変化をしてどんどん成長していく。

人生第2回目の社会という場所で経験しなければならないことは「傷つくこと、傷つけること」

家族なら許してもらえることが他人には通用しない。ワガママが通らないということを体験して、思いやりの気持ちを身につけていく。

取っ組み合いの喧嘩をして身体の痛みを知り、親が頭を下げる姿を見る。自分のために親が頭を下げて、後で厳しく叱られる。
何が悪かったのかを説明し、子供が納得するまで諭す。

仲間はずれを作ったり、嘘をついたりすることで人を傷つけるんだという事を身をもって体験する。

「学校が楽しい」と言える子供は「楽しむ努力」をしているんだと思う。


「先生」とて人間


学校の先生というのは、大学を卒業してそのまま「教員」として働く人がほとんど。
社会人一年目にして「先生」と呼ばれる。

これは半端ないプレッシャーだと思う。子供が好きだと言えど、子供だけじゃなく親が関わってくる。校長はじめ上司となる教員達との関わり。

描いてきた理想の教師の仕事ができなくて泣くことも沢山あると思う。

それでも、試行錯誤しながらどうしたら子供達が学校を好きになるのかを考えて取り組んでいる先生もいる。

その先生たちの努力、親の努力を子供は感じているはずで、感じなければならない。

子供はいつまでも「子供」では無い。
18歳になりました。成人です。はい、明日から大人です。1人で生きていけますよね、なんて事はない。

一日一日を少しずつ、痛い思いをして優しさを知り、ひとつずつ「愛」を積み重ねていく。

【学校】とは
『愛』を学ぶための登竜門


小我の愛(ワガママ)を捨て大我の愛(無償)で生きていける大人になるための、最初の場所として、今一度、学校の在り方や教育というものを自分の目で見て、感じて、考えることが子供たちの未来にとって私たち大人ができることだと思う。

正解はひとつじゃなく、自分で納得のいく答えを見つけたらそれでいい。大人も子供も♡


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