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「通訳者」の呼称について
Yahooニュースの見出しで「通訳さん」という表記を見かけました。
これを見て、以下のつぶやきを行いました。
本記事がその内容です。
本記事の本題と執筆の背景
最近はどうか知りませんが、1990年代前後には松本道弘氏等の大御所を始めとする何人かの通訳者がエッセイでこんな風に語っていました。
翻訳を行う専門家は「翻訳者」と呼ばれるが、通訳を行う専門家は「通訳」と呼ばれることが少なくない。
翻訳者を「翻訳」と呼ぶことはないのにこれはどういうことか。
通訳者が一段低く見られているようでいい気分はしない。
確かに「通訳」という単語が行為も人も指すことがある一方で、「翻訳」が人を指すことはありません。
翻訳者には「翻訳家」という、趣のある肩書まで存在しますが「通訳家」という肩書を見たことはありません。
(もし、こう名乗っている人がいたとしたら自意識過剰な人だなという印象を受けます。)
「同時通訳」とか「会議通訳」となると、人を指すことはないのですが。
一般にはあまり知られていない話のような気がするので、記事を書いてみました。
「通訳」という呼称は失礼か?
通訳者に敬意を払わないクライアントというのは残念ながらいると思います。
「敬意を払わない」とまで行かなくても、通訳の専門スキルに対する理解が不足しており、不当に低い評価をしている人は少なくないでしょう。
一方で、そのことと「通訳」と呼称することの間にどの程度の関連があるのかは何とも言えないと思います。
「『行為を表す単語』と『人を表す単語』が同じである」ことをもって、当該行為なり職業なりが軽んじられていることになる例を探してみましたが、特に思い浮かびません。
(これについては、実例があるのかもしれないという気は何となくします。もし知っていたり、思いついたりした方がいらっしゃれば是非、教えてください。)
私自身は人を指すときは必ず「通訳者」と言いますが、それは自然に身についた言語感覚によるものというよりも、上述したような議論・主張を尊重した上で意識的に行っていることです。
だからと言って、広く一般に向けて「『通訳』とか『通訳さん』は不適切なので『通訳者』と呼んでください」と呼びかけるつもりは特にありません。
私自身が「客観的に見ても問題である」とまでの意識を持っておらず、「(第一線の)当事者がそう言うのであれば、それを尊重することにやぶさかでない」というくらいの認識だからです。