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【アーカイブ/論文】伝統的技芸としての油絵|「西洋画」から「ABURAE」へ(美術出版社第14回芸術評論(2009年11月)応募落選作)

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 今日、美術と一口に言いましても、その定義にもよりましょうが、それを広義に捉えまして概観してみますと、現在、おおよそ美術と称されているようなジャンルは、その内容、形式ともに、多様な様態を呈しているといえます。いわゆる純粋美術、ハイ・アートといわれているようなジャンルから、いわゆる工芸美術といわれるようなジャンル、さらには、応用美術、広告美術、実用美術、商業美術等々名称は様々ですが、ロー・アートと言われるようなものまで、その幅は実に広いものとなっています。また、別の観点から分類してみますと、一般的に現代美術と名付けられている形式のジャンルから、一般的には絵画と呼ばれるような額縁に収まるような類のタブロー、台座のある彫刻、版画、さらには日曜画家の作品ような類の限界芸術、アウトサイダー・アートといったものまで、これも様々な様相を呈しています。さらに、一口に現代美術といっても、平面から立体、インスタレーション、それがさらに展開してワークショップ、アーティスト・イン・レジデンスなどのパブリック・アートといわれるような必ずしも有形物の形をとらない一種の社会活動のような形式の美術作品も出現しています。発表の場としての側面では、国立新美術館や東京都美術館で公募展を開催している美術団体のジャンルにおいても実に数多くの作品が制作され続いています。さらに、各府県や市役所などの自治体が主催している県展といわれているような公募展もありますし、企業等が主催するコンクール、百貨店やスーパーマーケット等の美術品コーナーのインテリア絵画もあります。教育機関ということでいえば、大学や予備校、通信教育、カルチャーセンターまで幅広い機関があります。プロフェッショナルの絵からアマチュアの絵までというような言い方もできます。美術というジャンルを広義にとらえれば、現在、制作あるいは生産されているこれだけの様態があるわけです。
 こうした多様な様態の出現は、もちろん、それぞれ一定の社会的ニーズを受けて、あるいは個人的発意によって形成されてきているわけですが、近代化、モダニズムというものが事物を分節化することを本質としているとすれば当然の結果だともいえます。
 もちろん、このような多様な様態をとっているそれぞれのジャンルあるいは個々の作品は、その経済的価値や(近代的意味における)芸術的価値もまさしく玉石混交であることは言うまでもありませんが、ここで、私の立場としては、これは良いもの、これは悪いもの、あるいは、これは必要なもの、これは不要なものと区別せずに、これら全てを基本的にはひとまず是認しておきたいと考えます。これらの様々な様態をとっているそれぞれのジャンルあるいは個々の作品は、何らかの歴史的、地域的必然性のもとに生まれてきたわけであるのですから、それそのものの存在を一旦引き受けたいと考えるのです。つまり、これらそれぞれジャンルあるいは個々の作品は、経済価値あるいは(近代的)芸術価値としては雲泥の差があるものの、(存在することだけで一定の価値であるといってしまっていいならば、)存在価値としては等価であるということです。

 更に、しばしば批判の対象となる日本の美術の特殊性、特殊事情についても基本的には是とする立場をとりたいと思います。ある人は欧米に比べマーケット規模が小さいと言います。芸術も産業として経済的に大きくならなければいけないという主張も聞えます。一方、パブリック・アートといわれているようなコミュニケーションを主体とするような作品、しばしばイベント、催し物のような形式で開催されるような美術作品では、利益を目的としていない緊張感のなさのためか、しばしば、なぜそれをアートと呼ぶのかと首を傾げたくなるようなコミュニケーション・スキルの低さが見えたりする場合もあります。公募展を主催するような美術団体においては、まるで家元制度のような師弟関係で雁字搦めになるような閉鎖性や封建制があったりもするのかもしれません。ある現代アート作家は、美術家の頂点が大学教授では情けないと言っていますが、美術の市場を商品としての流通市場だけととらえてしまえば、確かに欧米に比べれば小さいのでしょうが、大学や予備校はもちろん市中のカルチャー教室の類も美術教育ととらえて、要するに美術産業を製造販売産業としてだけでなく、教育産業としての経済規模も含めれば、日本も人口に対する比率からすればそれほど小さくはないと思います。
 日本の美術館は欧米に比べ公立がやたらに多く、それも建物ばかりに金をかけて肝心のコレクションが貧弱だと批判されています。それに比べプライベート・コレクションを核とする美術館が少ない。新設された国立新美術館はコレクションも持たない単なる巨大な貸し展示場であると批判され、当初有力な候補となっていたナショナル・ギャラリーという名称では恥ずかしいということで別の英訳名となりました。県立の美術館も一般県民向けの貸しスペースを併設しているところが多いように思います。水戸芸術館の芸術監督が一般市民向けの貸しスペースの併設に反対してその職を辞したという出来事もありました。貸し画廊という日本独自の制度も批判されました。確かに、貸し会場や貸し画廊という制度は、売れない作品でも展示できることから、作家にとっても画廊主にとっても確かにぬるま湯的な状況を助長したことは否めませんが、逆に売れる売れないの市場原理が支配する弱肉強食の場だけではないオルタナティブな場としての受け皿を用意して、多様性を高めたという評価も可能です。いずれにしても、日本の美術界の特殊性に対する批判は、全て欧米に比較してという言い方をされることが多いような気がします。つまり、欧米が即ちグローバル・スタンダードである、それに早く追いつかなければいけないという短絡した前提に立った議論が多いのではないでしょうか。

 なぜ現状をひとまず是認するのかの理由を結論的にいえば、今、文化や芸術というようなジャンルに特に求められていることは多様性であると考えるからです。経済的な原則に沿えば、どうしても均一的な潮流に覆われかねません。それは一定やむを得ない現象ではあります。しかし、市場性があるから経済的に効率的だからといって皆がグローバル・スタンダードに阿ってしまってはどこもかしこも同じ色になってしまいます。一般的な商品ならば売れるものが売れないものを駆逐し、世界中どこでも同じような商品が溢れかえっているという風景でいいのかもしれません。一般の商品であっても、最近は、インターネットの普及により、商品がロングテール化しておりニーズは多様であることがいわれています。特に芸術というようなジャンルは多様でなければ、いけないのではないでしょうか。似たような美術作品ばかりが増えてはそもそも味気がなくなります。多様であってこそ豊饒な未来が約束されるのではないでしょうか。生物界においても、単一種が極端に栄え、バイオ・ダイバーシティが減少することは、生態系のバランスを乱し、生物全体の絶滅リスクを高めるといいます。これと同じだと考えます。世界の衣食住が経済効率性によってある程度均一化することはやむを得ません。ただし、不効率ではあっても、その国、その地域の独自の文化(衣の文化、食の文化、住の文化を含めて)を絶やしてはならないと思うのです。
 言い換えれば、ある価値観で全てを覆い尽くすような立場には真っ向反対の立場をとります。世界中どこへ行っても同じような美術しかないというのは、どう考えても気味が悪い。文化や芸術というジャンルこそ、経済的効率性を超えて、最も多様性を確保しなければいけないのではないでしょうか。
 映画産業が典型的に分かり易い例なのですが、映画のジャンルは、ハリウッド映画がマーケット規模としては圧倒的であることはやむを得ないのですが、世界中の映画がハリウッド映画のようになってしまってはきっと気味が悪いに違いありません。ヌーベル・ヴァーグや往年のATGの風格を引き継ぐような映画や、かつて自主映画と言われていたような貧乏臭い映画、儲かるどころか殆ど持ち出しというような映画も引き続き必要だと思うわけです。最近の日本映画や東アジアの映画も金をかけたハリウッドの真似のようなものも多い。ハリウッドは基本がエンターティンメント産業ですから、当然といえば当然なんでしょうが。大きな資本を投下して、CGを駆使し、豪華絢爛、大スペクタクルで観客を驚かせれば、興行的には大成功というわけです。同じ映像産業のテレビも、視聴率という経済原則に引っ張られて金太郎飴のような番組になっていると思います。
 現代美術に引きつけていえば、ディズニーランドとアート・イベントは全く目的が違うわけです。スキルの低いアート・イベントを見るとみすぼらしい遊園地のように感じてしまうわけなのですが、大きな勘違いということです。アート・イベントが、地域経済を活性化することだけの目的になってしまうことはさびしいことです。

 さて、以上のように日本の現代の美術を概観したわけですが、これら現状をひっくるめておおむね是認したいとする立場に立った上で、日本の美術における特殊性を踏まえ、以下のとおり若干の論考を試みたいと思います。

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 近代日本の美術における出発点であり、かつ、決定的な出来事は、いうまでもありませんが、油絵という技法が輸入されたことです。当時の西欧における視覚芸術の主流ジャンルの技法であるオイル・ペインティングが江戸時代後期に輸入されたわけですが、いうなれば、西欧美術というグローバル・スタンダードが黒船のごとく押し寄せてきたわけです。それから200年以上の年月が経過しています。その後の日本近代美術の歴史は、欧米美術の様々な主義や流行を移入することで形成されてきたといっても過言ではありません。昭和に入って敗戦し再び自信を失ってからも伝統文化がなおざりにされる時期がありました。敗戦直後には、日本語の文字をローマ字にしてしまえとか、日本画には将来がないといった信じがたい議論もありました。
 油絵という技法は他の絵画技法に比べ多様な表現方法が可能です。それはまた、多様な近代思想、芸術思想を含み込んだ表現が可能ということです。日本は、近代思想を体現した油絵を中心とした欧米美術を移入することに邁進してきたのです。極言すれば、めまぐるしく変転する欧米美術を移入することだけで精一杯であったともいってもいいかもしれません。
 情報伝達手段が現在ほど発達していなかった戦前までにおいては、良きにつけ悪しきにつけ欧米の新しい美術動向を輸入することに汲々としてきました。欧米の新しい芸術思想をいち早く持ってきさえすれば、日本においては最先端、持て囃されたといっても過言ではない時代が続いていました。もちろん、輸入品の油絵を消化し、日本人の油絵と呼べるようなものを生み出すために、明治初期から先人画家たちは格闘してもきたのですが、大御所の例をあげますと、黒田清輝というような日本近代西洋画(一般的には「洋画」という呼称が多く使われていますが、本稿においては「西洋画」表記します。)の父のような人も、帰国してからは特に表現内容にその格闘が滲み出ています。ただ、典型的には萬鉄五郎などは、どうも無理やり接木をした違和感が漂います。佐伯祐三も作風と日本の風景のモチーフとの融合に苦しんで客死したわけです。安井曽太郎もかなりもがき苦しんだ期間があった後やっと日本人の油絵に到達しています。明治以降の日本の画家で世界的に評価されているの人が数少ないのは、当然で、欧米から見れば、まだまだ真似だと見えるわけです。
 現在、日本画といわれるジャンルも元をたどれば油絵が輸入されてから、その陰画として浮かび上がることによって、日本画、西洋画というジャンル分けができてきたわけですし、絵画以外の伝統ジャンルも明治時代以降は美術工芸というジャンルとして成立してきたわけです。
 西洋画は海外との窓口のようなジャンルでしたから、このジャンルにおいては、アカデミズム、印象派、フォービズム、キュービスム、シュールレアリズム等々、極言すれば、欧米の新しい動向を初めて持ってきさえすれば、日本国内では最先端、前衛だったわけです。戦後も同様で、アンフォルメルやポップアート、ミニマルアート、コンセプチュアルアート等々、欧米の動向の強い影響下でめまぐるしく変転をしてきたものであることは否めません。欧米の影響を如何に超えるかが最大の課題でもあったわけです。その中では、油絵の具による具象画なんぞは時代遅れのものと見なされる風潮もありました。
 つまり、明治維新以降、戦後を含め現在に至るまで、日本全体が常に欧米に対する憧憬と劣等感に引き裂かれ、模倣と剽窃を繰り返しながら、如何にこれを消化し、日本から発信をするかについて模索し続けてきたといっても過言ではないわけです。これは、文学や音楽等他の文化、芸術ジャンルでも同様であったでしょう。日本は、いつも必ずジャポニスムという異国趣味として、欧米美術が活性化するための材料のひとつという地位に甘んじていたというのが、日本側からの正直な本音でしょう。現在の「かわいい」などの戦略によるJ‐カルチャーについても異国趣味という範疇から脱して、パラダイム・シフトできるかもしれないとする人も現れていますがどうでしょうか。欧米美術が常にエキゾティシズムやアウトサイダー等の周縁をその滋養として強大化してきた過去を振り返ると、まだまだ欧米のルールの範囲内にあるような気がします。

 今日の日本の美術は、さきほどの繰り返しになりますが、いわゆる現代美術から公募展団体の絵画やデパートのインテリア絵画、サブカルチャー等々まで幅広いわけですが、なにより重要なことはそれが並行的な層を形成しているということだと思います。日本文化の特質として、それらの層を形式として連綿と伝え続けているということがあります。俳句や短歌、茶道や華道、書道や水墨画、雅楽や近世音曲、文楽に歌舞伎、等々、生きた化石のごとく堆積しています。しかも、それら古来のものが博物館的に標本として残っているのではなく、まさに生活の中に生きて残っている、今でも再生産されているということです。その多種多様な層を大事にしなければいけないのではないかということです。もちろんグローバルな市場に勝負を挑む人がいてもいいのですが、一方で、公募展のようなジャンルがあっても良い、前衛美術の作家が大学教授であったって良い。確かに、日本の美術市場を作品という商品の流通マーケットという定義だけで捉えれば、欧米に比べて大きいものとはいい難いとは思いますが、その周縁のサブカルチャーや素人の手習いレベルの限界芸術ジャンルも美術市場に含めれば、決して小さいものではないでしょう。元来、日本文化の資質としては、美術を高邁なものとは位置づけずに、日常生活の中のいわばグッズであったり、祭というようなイベントの中での飾りであったりしたわけですから。

 サブカルチャーのジャンルでは、「J‐何々」といわれるぐらいに日本発のカルチャーが発信されています。それに倣えば、日本の油絵も「J‐オイル・ペインティングス=ABURAE」と呼称されるようになっても良いのではないかと考えます。ただし、海外受けをわざと狙うことはかえって焦り過ぎです。J‐POPにしろ海外受けを狙ったわけではなく、演歌、歌謡曲、フォーク、ニューミュージック等と成熟を重ねていく中で、向うから興味を持たれたわけです。じっくり熟成させるように構えることが大事です。「HAIKU」や「BONSAI」、「BUTOH」もことさら海外を意識して活動してきたわけではなく、内需のものが、たまさか外需から面白がられただけと考えた方がいいと思います。ただ、欧米に評価されたことを自らの権威づけに再利用するようなこともあるでしょう。
 西洋画と呼ばれるような流れも欧米から「ABURAE」と名付けられるぐらいにならなければ本当の意味で日本の美術として血肉化したことにはならないのではないかと私は考えています。(もちろん、これは比喩ですから、海外から呼称されることが目的ではなく、客観的に日本の油絵が他の国のものとは違うテイストになっていくことが重要なのですが。)そういう意味では、芸術性の高い低いは別として、それぞれのジャンルが熟成されるべきなのです。
 また、西洋画が「ABURAE」となろうとするには、ある意味、過去の絵画の変奏を繰り返すことこそ必要なことではないかと考えます。クラシック音楽が様々な演奏家により様々な解釈によって演じられて、なおかつ飽きられることがないことと同じと考えます。世界に通用する高度なスキルの演奏は市場性を持つわけですが、一方、愛好家による演奏もあってよいわけで、そういう幅広さ、裾野の幅広さが重要だと考えます。裾野の幅広さがあってこそ、頂点の高さが生まれるわけです。陶芸においても、写しと呼ばれるような作業もありますし、過去の技法を再現するようなことが、ひとつの志向性として存在意義を認められています。

 今日の額縁絵画、タブローのジャンルでは、デパートのインテリア油絵やカルチャー教室の日曜画家の油絵を裾野として、象徴的にいえば日展の役員、芸術院会員を頂点とするヒエラルキーを成しているといえます。日本のお家芸ともいえる家元制度の構造をしっかり踏襲している。日本の市場がみすぼらしいと見切りをつけられようが、画家の目標が教師や大学教授になることでは情けないと揶揄されようが、しっかりと内需型の市場を形成しているといっても良いのではないかと思います。美術学校やカルチャー教室における師弟制度もそれをしっかり側面で支えているといえます。

 近代芸術の思想が一巡りをしたと考えるのが妥当かもしれません。美術のあらゆる形式が出尽くしたのかもしれません。ある意味、モダンがマニエリスム化しているといっても良いでしょう。
 新たな形式を輸入することに汲々として、いわば過食によって消化不良を起こしているのではないでしょうか。牛やらくだのごとく反芻が必要な時代に突入しつつあるのではないでしょうか。充電し過ぎた電池のようになっているのではないでしょうか。モダン、モダンと目新しさだけを追い求めているのではないでしょうか。そういう意味で前衛の時代は終わったのです。
 明治以来、日本の西洋画の先人たちは、欧米の動向をいち早く取り入れることに汲々としてきました。それを国風に消化することも目ざしてきました。めまぐるしく変遷する欧米の動向に振り回されて、いわば消化不良を起こしているのです。今こそ必要なことは、先人が切り開いてきた道を継承することであると考えます。

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 かつて川端龍子という日本画家は会場芸術を提唱し、大作主義を貫きました。最近の公募団体展は、国立新美術館という巨大貸し会場が出来たこともあって都美館に残った団体展も含めて大作主義の傾向にあるようです。展覧会という限られた期間においては、他の作品との競争上、どうしても大作の方が目立ちます。迫力がでやすいので、強い絵が画きやすい。小品の油絵や版画は「四畳半芸術」となかば揶揄的に呼ばれてもいます。一方で、石原慎太郎東京都知事は、ワンダーシードという公募展の企画趣旨において、「最近の絵描きがやたら大きい絵を描きすぎるのは自信がない証拠だ。本当にうまい絵描きは小さい絵も描ける。そしてその作品が鑑賞家の生活空間で愛玩されてこそ初めて意味がある。」と小品を奨励しています。こちらの意見に賛成します。もっとも、作家によっては、大作はコンクール用、商品はアートフェアー用と使い分けているのかもしれませんが。
 洲之内徹という画廊主・コレクターのコレクションは、現在は、宮城県美術館に一括して所蔵されていますが、どれも日本の生活家屋に収まるサイズの小品です。また、洲之内のエッセイと相まって、作品とコレクターの対話が甦る珠玉のコレクションといってもいいと思います。エッセイが一種のキュレーションになっているわけです。
 そもそも日本の美術は、明治維新までは家具調度の類として位置づけられてきました。作家の自己表象として扱われてきたわけではありません。生活に溶け込んだいわば什器や日用品だったわけで、実用品でもありました。そういう意味では、現在の建築のように建築家の自己表現でもあり建築としての実用品でもあるポジションと近似したものでした。小品は、四畳半の中で親密に眺められて愛玩されてきたものです。薄暗い四畳半で作品との物理的な距離も近いわけですから、視覚だけでなく触覚や嗅覚等の感覚も総合して味わうように鑑賞されてきたのです。

 美術館というパブリックな空間に行かないと見られない作品ではなく、生活空間に飾られてこそ作品は生きるわけです。自ずと生活空間に収まるものとなります。そうすると、TPOによって架け替えられることにもなるわけです。壁画として出発した絵画が、近代市民階級のニーズに合わせてイーゼルに乗るような額縁付きのカンバス絵画に変化するとともに、商品として同時に近代的な著作物として自立性を獲得しホワイト・キューブに収められるようになったわけですが、戦後、美術作品が前衛という自家中毒によって解体していく中で自立性が崩壊し、再び、作品の外部に支えを求めだしたということになります。その支えが、キュレーションであったり、イベントという枠組みであったり、生活空間という場であったりしているわけです。
 小品はどうしても俳諧的にならざるを得ません。近代的な意味における芸術思想を盛るには小さすぎるわけです。桑原武夫あたりに言わせると、そういうものは「第二芸術」だと、けなされそうな気がします。ただ、須田剋太や地主悌助、松田正平、長谷川潾二郎のような、世界の美術史からはもちろん日本の美術史からも隔絶したような作家、作品には、また別格の魅力を感じます。欧米流のグローバル・スタンダードの美術史から逸脱している魅力なのかもしれません。変に迎合するのではなく、あえて離反しているということでしょうか。変に迎合すれば、エキゾティシズムとして絡め取られてしまいます。
 一方、いわゆる現代美術といわれている潮流の一部は、徹底してパブリックなものを目ざし、コミュニケーションそのものが主題となるようなアート・インベトとしても流行しています。小品は、これと正反対となるような潮流ということになりますが、一方ではそういう潮流も並行して存在するべきではないのでしょうか。徹底的にプライベートな行為としての制作、鑑賞、収集というものも多様性を広げるものです。
 「第二芸術」というものは、ひとことでいえば完結性、自立性がないので近代芸術の要件を満たしていないということになるわけですが、生活空間というサイトがないと成立しないという意味では、イベントという枠組みがないと成立しないパブリック・アートと同様、極めてサイト・スペシフィックなものということになります。そういう意味では、共時性もあるわけでます。

 柳宗悦や白州正子という人も、お気に入りのものを身近において、楽しむことをしてきました。戦前までは、実業界で功なり名を成した人が、いわば近代の数寄者としてプライベート・コレクションを持っていた時代がありました。戦後は行き過ぎた懲罰的ともいえる税制のため、そのような人物は現れにくくなりましたが、それでも最近では、高橋龍太郎氏のコレクションや山本冬彦氏のコレクションがその伝統を引き継いでいるといっていいのかもしれません。公立美術館のようなこところの公的コレクション収集はどうしても無難なもの、ある程度評価が定まったものに偏りがちです。私的なコレクションであれば、コレクター自身の目利きで勝負ができます。そうしたコレクターが現れにくいことが、欧米のコレクターに青田買いさてれている原因でもあります。若冲や浮世絵など日本の近世絵画のように、気が付いたときには国の財産が流出してしまっているということになります。多様化する美術の中で、特にいち早く評価する目利きが重要になってくるわけです。

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 日本の油絵=西洋画も伝統的なジャンルとして、世代間、時代間で引き継ぎ伝えることが必要な時期に来ているのではないでしょうか。明治以来の先人が残してきた消化しようとしてきた画材、技法、思想、そしてその具現としての作品をきっちり受け継ぐこと。今更、欧米の潮流を追いかけ回しても何も始まらないのではないでしょうか。J-POPも欧米のミュージックシーンを追いかけるのではなく、自国のポップスを踏まえる中で生まれてきたと思うのです。近世絵画における狩野派や琳派のように、茶道における流派のように連綿と引き継がれるようなものとなるべきではないでしょうか。日本人の感性に根ざした血肉化こそ求められていると考えています。またそれは、過去を否定し反逆し、常に新しい何かを必須とする無間地獄としてのモダニズムからの脱却も意味することになります。
 これからは、美術ジャンル全体が多様性を保ちつつ、それぞれの部分ジャンルが深化していくことが望まれます。いたずらに目先の流行にとらわれることなく、先人の遺産をしっかり受け継ぐことが大切です。先人が消化しきれなかったものを見つけ出し、それを反芻し、それをまた次代に引き継ぐということです。
 そして、日常生活にしっかり溶け込んだものとなるべきではないでしょうか。日常の生活空間に似つかわしい小品として手近に置いて、いじるように、かわいがるように鑑賞されるべきではないでしょうか。

 日本の文化、芸術、美術の歴史は、江戸時代までは、先人を否定し超えることで変遷してきたわけではありません。優れた先人に一歩でも近づきたいということが後進者たちの目標でした。先人の達した境地に近づいた上で、もし仮に自分のオリジナリティのようなものがあるとすれば、それをほんの少し付け加えることができれば、十分にその人の存在価値はあったとされるのです。近代的価値観からはそれは停滞と捉えられるのでしょうが、もう、個性とかオリジナリティとかと騒ぎ立てる必要はありません。むしろ、如何に個性を消すかを究極まで推し進めても、なおかつ残るようなものこそが個性といえるのではないでしょうか。個性尊重といった風潮はあまりにも安易に聞えてなりません。そんなに個性が簡単に見つかるものなら苦労は要りません。そんなものは単なる癖レベルのものにしか過ぎません。
 初等美術教育なんぞでは、最近になってやっと、コラージュやドリッピングなど、戦後の前衛的な技法を実技に取り入れていますが、少しも先進的な取り組みとは思えません。逆に周回遅れのような気がしてなりません。「美術とは自由です。さあ、思ったように感じたように画きなさい。」ということなんだろうと思うのですが、逆に初等美術教育にも模写や鑑賞教育といったカリキュラムこそ先進的であり必要であると考えます。つまり、芸術を個人の表現の発露としてだけで捉えるのではなく、表現技術、コミュニケーション技術といった視点で捉えて、そのスキルの習得を目的とする側面こそ充実すべきなのです。

 日本人が油絵の具という画材、油絵という技法、つまり欧米近代美術における芸術思想に初めて接触してから200年以上の時日が経過しています。すなわち、欧米以外の文化圏ということでは、日本が最初に、その画材、技法、思想に触れ、それ以来、最も長期間にわたってそれと格闘してきているといえるわけです。欧米近代の強大な影響力、くびきから逃れることに必死になってきたともいえます。どうでしょう、このあたりで、一度、立ち止まってみる必要はありませんか。相対化して考えてみる必要はないでしょうか。日本の歴史は、鎖国と開国の繰り返しだったともいえます。開国の時代は、海外からの文化を積極的に取り入れ受信してきたわけです。他方、鎖国の時代においては、それを咀嚼、反芻、消化し、そして国風化してきたわけです。(ちなみに、いずれの時代においても発信は得意ではありませんでしたが。)つまり、内心において、一種の鎖国状態をつくりだして、深く自省することが一時的に必要であると思うのです。
 国風化、和様化された油絵が、必ずしもハイ・アートである必要はありません。むしろ、芸能とか技芸といわれるようなものに近接することになるのかもしれません。技芸として日本人の感性に密着するようなものということであれば、小品という器のほうが似つかわしいのではないでしょうか。そして、桑原武夫氏によって「芸」だの「第二芸術」だのと揶揄された俳句や短歌のような永遠の形式として日本文化に定着するべきなのでしょう。大きな美術が終焉を迎えた今、油絵というものが「ABURAE」として、真に日本に十分に根付き、小さな華を咲かせることを願って論考を結びます。

《参照論文》
・拙文「退行する日本の現代美術――グッズとしてのアート、祭としてのアート、骨董としてのアート」第12回『美術手帖』芸術評論応募
https://note.com/forimalist/n/n1abf139d13be
・同「超芸術トマソン――アートの限界事例」第13回『美術手帖』芸術評論応募
https://note.com/forimalist/n/nf376440ee818


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