◯◯天にする願いごとの叶う率がハンパない意外な理由
フォレスト出版編集部の寺崎です。
みなさん「都市伝説」はお好きですか。
私はだいすきです。
もともと厳密には都市伝説とは、民俗学や社会学の文脈でしっかり定義づけられているジャンルなのですが(フランスの社会学者エドガール・モランによる著書『オルレアンのうわさーー女性誘拐のうわさとその神話作用』(1969)が有名)、最近では陰謀論、人から聞いた怖い話や不思議な話など、いろいろひっくるめた呼称として用いられています。
なかでもYouTubeを中心に人気なのが、「効き目がヤバい神社」とかその手のもの。実際に「日本三代怨霊」のひとつである崇徳天皇を祀った京都の安井金比羅宮は縁切り・縁結びの効果がすごいとかなんとか。浅草にあるガネーシャ由来の神さまを祀った某お寺の願望実現率がヤバいとか。
逆にビビりの私としては、効果絶大を謳う神社仏閣は、あっちの世界との契約を交わすという意味で、なにか引き換えのものを失わなければならないんじゃないかと、ちょっと怖くなります(実際にそういう話が界隈では取り沙汰されています)。
ところで、神さま仏さまにもさまざまな格がありますが、われわれ凡夫の願いごとを「よっしゃ、そらきた!」とばかりに叶えてくれるのが「天部」だそうです。
天部とは、毘沙門天とか弁財天、大黒天のように「天」がつく神さまです。ただし、天部に願い事を叶えてもらうには注意が必要だよと警鐘を鳴らしているのが『すごい真言』を書かれた小瀧宥瑞(こたき・ゆうずい)住職です。
それでは『すごい真言』から一部抜粋した引用を使ってご紹介します。
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スピーディーに願いを叶えてくれる「天部」
「天」は、天のグループという意味で「天部」という総称で呼びます。
天部は六道の最上位であり、簡単に言えば神さまです。しかし神さまと言っても、まだ悟りに至っていない存在です。そして、仏法を護ってくださる、ガードマン的な役割で働かれている方々でもあります。
天部は、我々人間と時間の流れに違いがあるものの、同じように寿命があります。
そして天部には男女の性別も人間と同じように存在するのです。性別が存在するからこそ性欲も存在します。そして子どももつくります。
人間よりは悟りに近い存在ですが、良くも悪くもどこか人間らしさを残しているのが天部といえるでしょう。
願い事は人それぞれとしても、その願いが叶うまで、成就するまでに、どれだけの時間をあなたは願いますか。
誰でも早い方がいいでしょう。では、どなたに願いますか?
じつは願い事の叶い方によく表れています。
たとえば、会社を経営されている方が、今月の支払いがピンチで、もう1
00万円ないと社員に給料が払えないとなったとき、「どちらの仏さまが叶えてくれるだろうか」と考えたら、ズバリ天部です。
如来や菩薩、明王の方が悟っていて位の高い仏さまだから力をお貸しくださるのでは……と考えたくなりますが、なるべく早くお助けいただきたいときは、天部が一番です。
では具体的に、仏さまの中でどなたに願えばよいか。切羽詰まった緊急事態で、速やかにお金の願いを叶えてくださるのは、大聖歓喜天や弁才天などの天部といえます。
天部というのは、「会社が大ピンチなんです。どうか100万円を今月末までにお助けください」とお願いしたら、「はい、100万円ですね」という叶え方をしてくださいます。
天部にはお供えのお酒とお礼参りを忘れずに
天部にお願いを速やかに叶えてもらう秘訣は、お供えをちゃんとすることと、お礼参りを欠かさないことです。
何度も繰り返しますが、天部は悟りに至っていません。まだまだ心には悪心(あくしん)を持っています。「天部は赤子と同じ」。そう我々阿闍梨はよくたとえます。
天部は、100万円お願いしたら、100万円を融通してくれるような気前のよい存在のように思われたかもしれませんが、タダでしてくれるわけではありません。
「お前は私に何をしてくれる?」
そこを見ています。
対価ともいえる、お供えをするかしないかで、働きが変わってくるのです。つまり、ギブアンドテイクの関係ということで、人間らしい存在なのです。
天部が喜ぶお供え物は、大聖歓喜天の御供え物としても有名な蘿富根、お酒、団子です。
蘿富根とは大根のことで、あえて二股大根をお供えされることも多い供物です。
お酒は必ず上等な物を用意します。酒好きな人間と同じで、しぼり立てのお酒だったり、季節を感じさせるもの、単純に何が喜んでくれるか、よく悩み考えてお供えすることが大切です。
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実は冒頭でちらっと触れた浅草にある願い事が叶いまくるお寺も天部。お供物は大根とのことです。
でも、大根がお供えものとして喜ばない天部もいらっしゃるかもしれません。そもそも大根が手に入らない場合も。そんなときにどうしたらいいか、著者はこのようにアドバイスしています。
「天部は異国の神さまですから」とあるのは、天部の多くはもともとヒンドゥー教の神々だからです。
飯田橋にあるフォレスト出版の社屋のすぐ近くの神楽坂にも、立派な弁財天さんが祀られています。何度かお参りに行ったことがありますが、たしかにどことなく神さまらしからぬワイルドで雑多なエネルギーを感じることがありました。それはおそらく、天部が人間に近い存在だからなんですね、きっと。