読書感想:『女帝 小池百合子』(石井妙子、文藝春秋)をKindle版で読んだ。
こんにちは。編集部の石黒です。
ノンフィクションは好きで、とくに事件物はよく読むのですが、政治家の評伝的なものをガッツリ読んだのは、今回が初めてでした。ノンフィクション作家石井妙子さんの400ページ超のベストセラーですが、2日でサクッと読了。
このような硬派なノンフィクションを絶好のタイミングで世に出し、かつ商売的に成功させることができる著者、編集者、出版社を、同業の末席を汚す者として、本当に尊敬します。
以下、つれづれなるままに書いた私の拙い所感になります。あまり期待しないでくださいね(じゃあ載せるなよ、と思われるでしょうが、1週間に1本投稿することが部内でノルマ化されているのです……)。
なお、以下は筆者個人の感想であり、弊社の政治的な思想・信条とは一切関係がありません(そもそも、そんなものありません)。
●面白かったが、期待したほど驚きがなかった理由
筆致が文芸的ではなく、最初から一貫して平易な言葉で飾らず綴られています。読者を無闇に牽引する、あるいは煽るような大仰な表現はありません(序章の冒頭はちょびっと情緒的でしたが)。
小池都知事の幼少期から現在までを、関係者への取材や膨大な文献をベースに淡々と綴られているのですが、それゆえに小池都知事の「異様な」実像、発言がより際立ちます。
小池はすべての指にマニキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。
「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます? 私、選挙区変わったし」
女性たちは あまりのことに驚き、大きなショックを受けた。
テレビや選挙時に街頭で見る小池と、目の前にいる小池とのギャップ。小池の部屋を出た彼女たちは別の国会議員の部屋になだれ込むと、その場で号泣した。
どうして相手をわざわざ傷つけるような態度を取るのか。それとも相手が傷つく、ということが理解できず、マニキュアを塗りながらでも、一応は相手をしなければと思ったのか。それとも確信犯 か。
「この女は何者なんだ!?」「素顔は!?」という興味・関心が刺激され、ページを捲る手が止まりません。最後の最後、とんでもない展開が待っているんじゃないか――、と。
ところが読了したときに、「え!? もう終わり?」という拍子抜け感がありました。
これは著者のせいでも、ましてや小池都知事の発言や人生のせいではなく、「政治家は嘘をつく」ということを自明として受け入れるようになってしまった、私自身の問題です。
もし自分にとっての身近な人、たとえば会社の同僚が経歴詐称していることを知ったら、非常に気味悪く感じるはずです。ところが、政治家が経歴詐称しているといっても、「まあ、そんなヤツ、ゴロゴロいるよね」「もっと酷い嘘つくヤツいるよね」くらいにしか思えません(この倒錯した認知、なんか名前とかあるんですかね)。そんな自身の感覚の麻痺さ加減が、本書へ求めるビックリ期待値を上げすぎていました。
また、小池都知事に対して何も期待していなかった分、裏切られたという怒りもわかないわけです。
したがって、私の期待を上回なかったからといって、本書の価値を否定するものでは全くありません。
●「思考は現実化する」を地で行く女
本書では、小池百合子都知事の「カイロ大学首席卒業」という経歴の詐称疑惑を、さまざまな文献や留学時代のルームメイトなどの証言をもとに、徹底的に追及しています。
本書を読めば、疑惑は限りなく黒に近いという印象を受けるはずで、将棋でいえば「詰み」レベルです。そして、これだけの証言や証拠を突きつけられれば、相手は決定的な物証でもって反証するか、「参りました」と投了しなければなりません。
しかし小池都知事は、そのいずれの行動もとることはないでしょう。
私たちは「責任は自分にある」と言いつつ、何の責任もとらずに権力の座にしがみつく政治家の驚くべき姿を頻繁に目にするようになりました。
かつてなら、辞任に追い込まれていたような不祥事や疑惑が、今や簡単に見過ごされます。説明責任を果たさぬまま、ムニャムニャと何かを言って、ほとぼりが冷めると何事もなかったかのような顔で元のポストに座っている。
あるいは総選挙でガラガラポンして――(以下略)。
こうした現象に直面した当初は、私の中のマスオさんは「えーーーっ!」と叫んでいました。ところが、最近ではすっかり麻痺してしまい、驚きません。というか、あきらめの境地。
ただ、本当に恐ろしいのは、小池都知事自身は、カイロ大学を首席で卒業したと本気で思っているのかもしれないということです。だとしら、ホラーです。
小池都知事の留学時代のルームメイトだった人の証言です。
「なんでも作ってしまう人だから。自分の都合のいいように。空想なのか、夢なのか。それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中を生きている。願望は彼女にとっては事実と一緒。彼女が生み出す蜃気楼。彼女が白昼見る夢に、皆が引きずり込まれてる。蜃気楼とも気づかずに」
願望(あえて「嘘」とはしません)にまた別の願望を上塗りし、不都合な人や事は「排除」、そして権力を握ってそれを既成事実化する――。虚しいかな、本書を読むと、彼女の人生はその繰り返しのように見えるのです。
そして結論をいえば、小池都知事の「カイロ大学卒業」は「事実」となっています。
実際、カイロ大学は小池百合子都知事の卒業を認めていますし、なんと6/9にはエジプト大使館が小都知事のカイロ大学卒業を認める異例の声明を出しました。恐ろしいほど、「現実」が彼女の「願望」に追いついてくるのです。
カイロ大学もエジプト政府も認めたため、もうこの「事実」をひっくり返すことは、ほぼ不可能でしょう(さすがに「首席」という言葉はどこかに吹っ飛びましたが)。
私自身も中高時代は、注目されたいがために、しょうもない嘘やハッタリをつくこともありました。それは黒歴史なのですが、どうにかそんな自分と決別することができました。おそらく、そのまま嘘をつきつづけて生きていたら、自分の人生は破滅していただろうと思います。
しかし、平気で嘘を重ねながら、それでも政治の最前線で生き残っている人というのは、本当にスゴイ。どれだけ面の皮が厚いのか。これは自分の「願望」を「事実」と思い込むという「才能」がなければ、とてもじゃないが精神が持たないはずです。
「願望をノートや手帳に書くとそれが現実になる」という法則めいたものが、自己啓発書やスピ系の本で語られることは多々ありますよね。弊社の本にも似たようなことが書かれた本があるはずです。
こうした「引き寄せ系」「思考は現実化する系」に眉唾な人がいることは承知していますし、私自身はむしろそうした傾向がある人間です。
ところが、本書で描かれた小池都知事の生き方そのものが、見事にこうした法則に信憑性を与えている、格好のエビデンスとなっている、と感じてしまいます。
困ったものです。
もうね、人生って何なんでしょうね。
●その他メモ
まだまだ感じたことがあるのですが、冗長になってしまうので、残りは箇条書きでメモしておきます。
◎一貫して、小池都知事をモンスターとして扱っていることへの違和感が多少あり。
◎カイロ大学が卒業を認めているという事実を終盤になって明かすのはちょっとズルい。が、読者を牽引するためには仕方ない。
◎自分の政治家を見る目に、さらに自信が持てなくなった。
◎「排除発言」を引き出した横田一さんはジャーナリストとしてスゲー。
◎著者と小池都知事の直接対決を最終章で読みたかった。期待していただけに残念だった。