東海道五十三次:最速完歩を目指してみた
まえがき
歩くことが好きだ。
なので東京(日本橋)から京都まで歩いてみることにした。
東海道五十三次といえば、長距離歩行を趣味とする人の”登竜門”としてしばしば話題に挙がる旅路である。
ざっくり説明すると、江戸時代に整備された五街道の一つであり、東海道にある53つの宿場を通る日本橋~京都桟橋までのルートを指し、歌川広重や十返舎一九の作品を通して有名になったものである。
距離感覚がいまいちピンとこない人向けに、東海道五十三次についてネット/文献を引用してくると、おおよそ下記のように記されている。
そして実際に歩いた人達のブログやnoteを見ると大体こんな感じで締めくくられている。
舐めるなと。
歩道も整備され履物の技術力も圧倒的に勝っている現代人が、昔の人より遅く踏破して何をおめおめと達成感に浸っているのか。
ということで、江戸人を出し抜くスピードクリアを目指した自分は、2024/6/1に日本橋をスタートし、12泊13日で踏破した。
道中雨に振られたり、足を負傷したりなどのトラブルはあったものの、無事江戸人より早く京都桟橋に到着することができた。
これで21世紀に生きる現在人としての矜持を見せることができた。
(尚あくまで趣味の”散歩”の延長のため走るのは禁止とした)
無事目標達成し、京都のホテルで達成感を噛みしめながら眠りにつこうとしたとき、ふと頭をよぎったのは
なんかこの13日間のこと、あんま思いだせないな。。。
それもそうである。
東海道五十三次スピードクリアを目指し、観光・行楽なんのそのでずんずん歩を進め続けたあまり、ただビジネスホテルから次のビジネスホテルへ徒歩移動するだけの簡素な旅路となり、おおよそ”思い出”といえるものがほとんど作られないままゴールしてしまったのである。
道中、岡山城や浜名湖・琵琶湖など人生で初めて訪れる観光名所も多々あったにも関わらず、脇目も降らず遮二無二歩き続けた結果、記憶に残っているのは”あそこのビジホの朝食おいしかったな”や”あのコインランドリーは外れだったな”くらい。
このnoteは今後東海道五十三次を挑戦する人に向けたTipsであるとともに、自分の東海道五十三次に関する記憶を少しでも書き留めておくための備忘録である。
下準備(荷物編)
・今回の旅において自分がリュックに詰めたものは下記の内容である。
道中追加で買ったものは飲み物と日焼け止めくらいで、大きく重量に変更はなし。
本当に必要なもの最低限といった気持ちで準備し、実際振り返ってみても過不足ない丁度良い塩梅だったなと感じる。
歩いたのが6月上旬だったので、気温/天気を考えるとTシャツ/カーゴパンツ(肌寒い時用の薄手の上着1枚)というセットもベストだった。
ただこれでも結構な重量だったので「ズボンは毎日変えたいな」「タブレット/PCも持っていきたいな」という人は覚悟した方がよい。
ちなみに基本的に洗濯はコインランドリーで2.3日に1回ペース。
また、自分のポテンシャルについては以下の通り。
まだまだ格上は沢山いるが、そこら辺の「歩くの好き」な人たちには負けない自信がある。
下準備(ルート編)
今回の旅路のスケジュール作成は、以下の手順で進めた。
①下記サイトを参考に各宿間の距離を調べ、下記内容を決める。
‐一日何kmくらい歩くか
‐何日目のゴールを目指すか
‐各日程の目的宿
を決める。ここでいう目的宿とはあくまで五十三次の宿場であって、実際に泊まるホテルではない
https://350ml.net/labo/tokaido/kyori.html
②googlemapをはじめとする地図ツールを基に、目的宿として定めた宿場付近に泊まれる場所があるかを確認する。
自分の場合は少し想定距離が前後しても、ビジネスホテルが多い地域を各日のゴールとした。
その場でホテル/ゲストハウスを取ってしまうのでもいいが、スケジュールが前後する場合も大いにあるのでお勧めしない。
③下記のサイトを基に、各日程のルートマップを作成する。
実際に自分で決めたスケジュールを基に、各日程のスタート地点/ゴール地点を結んだマップを作成する。
ただ普通に作成してしまうと最短距離を表示したマップになってしまうので(東海道=国道ではない)、下記のルートマップをコピーして編集するのがよい。
東海道五十三次ルートマップ || 350ml.net
ちなみに自分は上記内容をNotionで管理しており、「○日目:○宿~○宿:○km:宿泊予定地:ルートURL」がすぐに参照できるようにしていた。
楽しかった場所3選
あんまり思い出/記憶が残っていない今回の旅だが、そんな中でも覚えている場所をいくつかトピックしてみる。
・浜名湖
静岡には何度か訪れたことはあるものの、浜名湖は人生初だった。
丁度到着して時が夕暮れ手前だった/その日の宿泊場が近かったため、日没までじっくり1時間ほどほとりでぼーっとしてしまった。
泊まった場所は確か4000円ほどとビジネスホテルとそう変わらない(何なら安い方)値段にもかかわらず、用意された部屋は3LDKのオーシャンビューが堪能出来る部屋だった。
が、後から聞いた話によると、ここは設立されたバブル時代は栄華を誇っていたもののその後観光客の低迷に併せて衰退の一途をたどり、コロナで一度閉鎖したものの、今は残った従業員で部屋数を絞って何とか営業している状態とのこと。
確かに宿泊中に確認できた宿泊客は男性1名/アジア系の団体客1グループだけだったし、設備も全体的に古かった。(実はここでダニに食われてしまい以後数日まぁまぁ苦しむことになる)
と、上記のことを教えてくれたのはホテル近くでバンドハウス/スタジオを営む店長さんであり、店前で販売しているお好み焼きを食べつつ聞いた話である。
雰囲気とか話し方とか含めめちゃくちゃいい感じのおっちゃんだったな、、また会いに行きたいな、、、。
・関宿
江戸時代の町並みを色濃く残す東海道47番目の宿場町「関宿」。
江戸から明治期にかけての町屋が今もなお約200軒も連なっており、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている土地である。
”東海道五十三次”とはいうもの、今もなお宿場町として賑わっている土地は少なく、なんでもない住宅地になってしまっているとこも多い。
そんな中で比較的当時の街並みを保ちながら宿場としても機能している(泊まれる場所は少ないが)関宿は、the東海道五十三次!という感じがしてとてもテンションが上がった。
道中にあったくまさん最中が2つからしか買えなかったので、一匹食べてもう一匹は胸ポケットに収納して一緒に散歩してたんだけど、何かの拍子でぶつかってポケットがあんこだらけになるのを想像したら怖くなり、結局もう一匹も急いで食べてしまった。
・東海道伝馬館
東海道歩く中で、こういった記念館や観光案内所のような施設は多々あるものの、ただパンフレットが置いてあるだけだったり、そもそも営業時間が短く、よっぽど時間が合わないと来訪できないといったことは少なくない。
そんな中でも、この伝馬館は営業時間も長く且つ展示内容のクオリティがとても高かった。
1階にある参勤交代を再現したフィギュアはもちろん、2階に展示されている”歌川広重が描いた各宿場のジオラマ”がとても印象的。
どれも再現度が高く、これが五十三つずらっと並んでいる光景はなかなか迫力があった。
実はこの伝馬館、東海道の終盤である49個目の土山宿付近に併設されており、これまで歩いてきた道のりを振り返りつつ鑑賞することができるので、東海道五十三次をここまで歩いてきた人にとってはぐっとくるものがある。
2階の別の部屋にはこれまた各宿場町の名物が展示されており、食品サンプルのような形で鑑賞することができる。
これに関してはその土地土地で食べて回るためにも、もっと早めに知っておきたかったところ。
泣いちゃいそうになったこと3選
・土砂による通行止め
東海道五十三次には三大難所と呼ばれる急勾配ルートが存在し、箱根峠・鈴鹿峠、そして”小夜の中山”である。
この”小夜の中山”は、日坂宿と金谷宿の間を跨ぐ急峻な坂道であり夜泣き石伝説や子育て飴などトピックも多いエリアである。
ここがなんと土砂による通行止めのため、どうにもこうにも通ることができなかったのである。
結果5km近く遠回りする羽目になったため、辛さ的にはトントンになったかなと納得はしたものの、やはりここまで一度も外れることなくぴったり東海道を歩いてきたため、メンタル的に中々くるものがあった。
・永遠に誘惑してくる国道一号
”東海道”というと、少し知ってる人からは「あー、国道一号線ね」といわれることがある。これは半分正解で半分不正解、というより相互で微妙に食い違う”東海道”についての認識を摺合せる必要がある。
東海道を歩く人にとっての”東海道”とは、”旧東海道”を指し、地元の人からは”旧道”なんて呼ばれたりもするルートである。
旧東海道は、実際に江戸時代の人たちが歩いたルートに準じており、車が通ることを前提として作られた国道一号線は決してその道をそのまま整備した道ではない。つまり、旧東海道では車はおろか自転車も通れないような山道を通ったりもする。
また何よりキツいのは、「明らかに国道沿いを歩いたほうが早いじゃん!」というような迂回ルートが至る所に存在している点である。
国道沿いであれば寄れるカフェやコンビニを横目に、ルートを間違えないように定期的にスマホで地図をチェックし、明らかな遠回りを泣く泣く進む。
別に誰に見張られているわけでもないこの旅で、”国道沿い”という甘い囁きを常に受けながら自分を律して旧東海道に準ずる。東海道ではこのようなある種のメンタルトレーニングが待っていることをこれからチャレンジする人は忘れないで欲しい。
※これもあって、何も考えず最短距離をまっすぐ歩ける”七里の渡し”エリアはホントにホントに快適だった。
・友人の大事な大事なマスコットの遺失
準備欄にも記載しているが、自分は今回の旅で一度リュックサック交換している。
この背景を説明すると、
①持って行ったリュックが普通のビジネスリュックだったため、初日にして肩が死ぬほど痛む
②2日目の小田原付近で記録的な大雨に見舞われ、レインコート/折り畳み傘をしていたものの、リュックが中身と共にびしょ濡れになる
③趣味用で使っていたTwitter垢で少し弱音を吐く
④それを見ていたフォロワー(登山上級者)が「リュックは絶対後々の活動に影響出るから!」と自前の登山リュックを夜遅くに小田原まで新幹線で届けに来てくれる。
というスーパーフォロワーのおかげで、その後大きく肩を痛めずに完歩することができた。(肩だけでなく腰とかの好影響もでかかった)
このスーパーフォロワー、弾丸でインド旅行行ったり富士山ルート3776(海抜0メートルから富士山頂を目指すイカれた登山ルート)を達成したりと諸々ぶっ飛んだ人ではあるのだが、今回リュックを貸して下さる上で一つ条件があった。
このonちゃんストラップを京都まで連れて行ってあげてほしい
リュックについてきたこのストラップは、北海道テレビ(HTB)のマスコットキャラクターonちゃんのマスコットでもあり、背中のチャックの中には彼が今まで訪れた国.街のピンバッチや富士山ルート3776の完歩者しか貰えないバッチが入っている勲章の塊でもあるのだ。
しかし7日目を過ぎたあたり、宿泊先のビジネスホテルの部屋で荷物の整理をしようとしたところ、onちゃんが繋がっていた紐はあれど、その先のonちゃん本体がいなくなってしまっているのである。
即座に持ち主にも謝罪の電話をし、地元警察署に紛失届を提出したものの、今だにonちゃんは見つかってはいない。
完全に恩を仇で返す形になってしまったのである。
疲労や道の煩雑さよりも、今回の旅で一番食らったのはこの事件による罪悪感で、なんとか”東海道五十三次最速完歩”という目標は達したものの、いまだ100%満足感のある/楽しかった思い出と言い切れないのは、このマスコットの遺失による影響が大きい。
もしこれを見てくれる東海道五十三次チャレンジャーの人/静岡県民がいれば、どうか興津宿~袋井宿間にオレンジ色の物体が落ちてないか注意深く確認してほしい、、、そしてもし見つけた方がいればこの記事にコメントしてほしい。。
あとがき
新卒から4年ちょい勤めた会社を退職し、1か月の有給期間中に敢行した今回の東海道五十三次チャレンジ。
結局なんだかんだでぶっ通して600㎞歩いた結果、あんまり思い出は残らなかったけど、それなりの達成感と飲みの場のネタは得ることができた。
実は東京に帰ってきたあと、東海道初日に立ち寄って仲よくなった品川宿の方から「近年”通し”で完歩した人なんて少ないから、是非一度どんな感じだったか話してほしい」と言われ、品川宿街づくりプロジェクトなるものの定例会にお邪魔し、メンバーの前で”ここが大変だった/あの宿はよかった”など話す機会をいただいた。
そこにはこれまでに東海道五十三次を15往復した郷土研究家の方もいらっしゃり、「13日踏破はこれまで僕が聞いた中でも最速だなぁ」というお褒めのお言葉とともに「次は中山道?それか甲州街道とかいいんじゃない?」と中々にDopeな提案をされてしまった。
いつになるかわからんけど、五街道制覇もありかぁ、、次は観光ちゃんとしたいなぁ、。
と、ここまで書いて「なんだかんだ思い出あったじゃん」と思い直したので、ざっくり3日ごとくらいで、より細かいレポ記事も書くことにした。もし興味ある方いれば是非見てくださいな。
※もし13日より早く踏破した方がいれば是非お話伺いたいのでコメントください…!
最後にバックを貸してくれた友人はじめ、道中にDMなどで応援してくれた家族・知人に感謝。