〔写真〕「ゴルディアスの結び目を断ち切るアレクサンドロス大王」ジャン=シモン・ベルテレミー
試案そのものから見えてこない「思惑」
今回も、パブコメ(~2022/2/17まで!!)に対応して、中間試案に関する記事です。
上記HPには、A4サイズに字がびっしりの中間試案本体だけではなく、「補足説明」と題された、A4サイズにして100ページ(!)にも及ぶ資料も公開されています。
主に、これまでの議論の経過を踏まえて、中間試案の考え方が詳しく説明されているのですが、これを読むと、中間試案がいかに危険なものとなっているのかが見えてきます。
今日は、これを読み解いていきましょう。
※以下、特にことわりがない限り、頁番号は「家族法制の見直しに関する中間試案の補足説明」のものです。https://www.moj.go.jp/content/001385209.pdf
1、「大きな異論がなかった」というウソ
まず、中間試案の取りまとめの経緯について。
P.2では、中間試案には、①司法インフラの充実や②税制・社会保障・教育支援との関係整理について指摘があったが、中間試案に盛り込まなかった経緯について、次のように述べられています。
ウソです。
異論は、何度となく示されていました。
例えば、4/26の部会議事録においては、終盤、赤石委員から進め方について異論が示され、激しい議論が戦わされています。(第14回会議議事録P.46~49)
今後公開する他の記事でも指摘していきますが、自民党の一部議員の動きもあって、今年に入り、議論のスピードが異常に上がっていました。
中間試案の公開にあたって横やりが入ることが予想されたので、議論は強引に取りまとめられているのです。
2、なぜ用語は整理されなかったのか
前記1と関連しますが、P.4の<前注1>は次の通りです。
この案の(補足説明)は次の通りです。
しかし、部会の議論は当初からこのような整理であったわけではありません。
離婚後共同親権についての本格的な検討がスタートするのは、2021(令和3)年8月31日に開催された第6回会議からですが、この時は、「双方責任」という用語が用いられていました。
この「双方責任」という用語は、理論的な詰めはともかく、離婚後の共同養育を念頭において、従来の親権・監護権の枠組みを見直す意欲的な内容でした。
ところが、2022(令和4)年2月22日開催の第12回会議において、突如方向転換がなされます。
この回において、これまでほぼ発言がなかった、金子修委員(法務省民事局長)から、次のような挨拶がなされました。
そして、これまで「双方責任」という概念を用いて、重要決定事項、日常的決定事項、随時決定事項の3つに分解して進められてきた議論が、事実上反故にされたのです。
この方針変更は、中間試案第2の3において、パニックともいうべき大きな混乱を引き起こしています。
3、子の意思は結局尊重されるのか
次に、試案の本体部分です。
この(2)と(3)について、P.7~8に長々と(補足説明)が書かれていますが、重要と思われるのくだりを引用します。
子の意思の相対化をやたらに強調する考えは、次の池田清貴委員(東京弁護士会)の考えに如実に示されています。
"子どもが会いたくないと言っていても"という、子どもの明確な拒否権すら相対化可能という、委員たちには、自分たちが子の最善の利益をアプリオリに代弁できるという傲慢さが漂います。
4、"幅広い選択肢"という無邪気な発想
次に、中間試案の最大の争点、離婚後共同親権の導入案についてです。
一見、離婚後共同親権導入案は甲①~③案まで、現状維持案は乙案、という図式で整理できるように見えますが、この点、(補足説明)では次のように説明され、上記4案に限定されないという趣旨を述べています。
その背景として、(補足説明)では、甲案の根拠づけの文脈の中で、次のような発想を示しています。
紛争性の高いカップルの離婚事案まで含め、この"幅広い選択肢"なるものはなぜ必要なのか?
また、現行法においても、民法766条は解釈上、共同監護を許容していると有力に主張する学説があり、また、紛争性の低い離婚カップルでは事実上行われている例があるにもかかわらず、なぜ甲①~③案まで含めて考える方が選択肢が"幅広く"なるのか?
子の意思の項目でも感じましたが、自明視する説明が多すぎると感じます。
5、「自由な意思」は確保されるのか
上記の甲①~③案については、理論上、重大な欠陥があります。
日本法において、婚姻は夫婦間の合意(契約)と考えられ、その解消(離婚)は、双方合意を基本原則としています(民法763条)。
しかし、共同親権・共同監護・共同養育といった、離婚後も父母双方が関与する法的スキームによる子育ては、本来、解消されているはずの婚姻契約の部分的存続になると、理論的には考えられるのですが、その存続にあたっての「双方合意」が担保される仕組みが、中間試案に何ら用意されていないのです。
一部、甲②案の概要説明の中で、このように述べられています。
しかし、これは裁判離婚のケースに限定した記述であり、アンフェアな離婚が横行しているとみられる協議離婚にまで、理論的に貫徹する意図はみられません。
なお、双方の合意が担保されない共同親権決定の法規律が、仮に制定された場合、違憲立法の可能性が憲法学者から示されています。
6、"法の素人"への丸投げ
次に、P.18途中からはじまる、「3 離婚後の父母双方が親権を有する場合の親権の行使に関する規律」というカオス解説。
まず、(1)は監護者を定める要否について。
次に、(2)は監護者が指定されている場合の権限行使について。
(2)アは、監護権の範囲を法定するかどうか。
(2)イは、親権・監護権双方の行使方法について。
次に、(3)は監護者の定めがない場合の権限行使方法。
規律案とその解説が、P.18~39まで、ながなが~っと綴られております。
とてもじゃないが、素人に読ませられる内容ではない。
これだけで一記事を書かなくてはならない。
はっきり言いますが、委員の皆さんには、いったい、専門家のプライドってもんがないのでしょうか?
こんな理論的に難解なものを、なげ整理せずに丸投げしたのでしょうか?
実は、専門家同士では、親権・監護権の定義については、ほぼ一致した考え方があり、親権を身上監護権と財産管理権に分解し、前者を特に監護権と分類する学説が圧倒的多数であり、かつ、実務上もそのように取り扱われてきたものです。
ところが、離婚後共同親権となると、上記分類では実際の運用に不都合が生じると懸念されたため、上記で示したように、第6回会議資料では「双方責任」という新しい概念を打ち出し、実際の共同養育の場面を3類型に分けて議論を積み重ねてきたのです。
しかし、中間試案の取りまとめに焦った法務省側が、今までの用語整理で進めると方針を立ててしまったため、このような迷走が生じているのです。
ちなみに、長大な時間をかけて議論された、重要決定事項、日常的決定事項、随時決定事項の3類型は、P.22にぼそっと書かれているだけです。
そして、こんな複雑怪奇な案がなぜ示されたのか。
ここでまた出てきたのが、"柔軟な選択の可能性"というお花畑。
つまり、中間試案は、現行法が柔軟な選択の可能性がある(=解釈上、現行法でも共同監護・共同養育が可能)ことを前提にしているため、現行法の「用語」を踏襲する中間試案は、さらに共同親権が設定されたケースを想定して、様々な行使態様のパターンを示さなければならなくなったのです。
はっきり言ってバカげています。
専門家の責任放棄というほかない。
7、「実子誘拐」プロパガンダに屈したのか
続いて、第2の3(4)は恐怖の規定です。
この【Y案】に書かれている、α、β、γの各案は次の通りです。
いずれかの案が採用された場合、引っ越すときにいちいちやらなければいけないという…。
別居親に監視権を付与するようなものです。
この起案は、これまでの中間試案の方針と大きな矛盾点があります。
現行法上、居所指定権は身上監護権に含まれるところ、上記2で示したように、中間試案における用語等は差し当たり、現行法の枠組みを踏襲することになっている以上、議論の余地なく、監護権者が単独で居所指定することが可能であるべきだからです。
ところが、(補足説明)にはこんな記述が出てくる。
この解釈の選択肢はなかなかファナティック(狂信的)といえるでしょう。
8、不毛な親権・監護権分属論
P.39にはこんな案が提案されています。
一時期、共同親権・共同監護が実現するための便法として、親権と監護権をそれぞれ分属させるという親権・監護権の分属という方法が用いられていました。
今般の民法改正でも、これを可能とするかどうかが問われているのですが、そもそも、今回は、離婚後の共同親権・共同監護自体を、正面から規定するか否かが問われているわけですから、このような実務上の方策は不要となるはずです。
大雑把にいうと、中間試案では、
①単独親権・単独監護 ※監護権の"定めのない"パターンも含む。
②単独親権・共同監護
③共同親権・共同監護 ※監護権の"定めのない"パターンも含む。
④共同親権・単独監護
の4パターンが提案されている、と考えて良いでしょう。
これに加えて、⑤親権・監護権分属までが加われば、"多様な選択肢"とやらは実現されるのでしょうが、いったい何のためにこんなに選択肢が必要なのか、さっぱり意味が分からない、というところです。
9、これまた無邪気な「教育は人を変える」という発想
P.42からは、「第3 父母の離婚後の子の監護に関する事項の定め等に関する規律の見直し」という大項目を立て、1では情報提供として離婚後養育講座の受講が提案されています。
部会の議事録も読みましたが、学者の先生方は笑っちゃうぐらい無邪気ですね。良い大人のくせに。
紛争性の高いカップルが、たかが1日だか半日の講座受講で何が変わるというのでしょうか。
日本のアカデミズムのダメなところが凝縮されたような提案内容です。
10、協議離婚の「何を」改善したいのか
続く第3の2。
家族法制部会の委員の一人、水野紀子白鴎大学教授は、日本の離婚法の問題点について、かつてこう指摘されていました。
日本国憲法においても、24条2項において、次のように規定しています。
今回の中間試案が、水野委員が長年指摘してきた課題(そしてそれは、ほとんどの委員の共通認識のはずです)の「何を」解決・改善したいのか。
憲法が求める離婚時における個人の尊厳、両性の本質的平等を実現したいのか、さっぱりわからないというのが正直なところです。
11、改善の見込みが立たない養育費の不払い問題
続く第3の2(2)と(3)は養育費の支払い確保策について。
中間試案では、いろいろな箇所で、この施策について提案がなされています。
まとめてみますと、
<第3の2(2)>
養育費に関する定めの実効性向上として、次の2案が提案
ア 養育費の定めに関する文書の債務名義化
イ 養育費の先取特権化
<第3の2(3)>
法定養育費制度の新設
<第5の2(1)(2)>
養育費、婚姻費用の分担及び扶養義務に関して、当事者の収入に関する情報の開示義務の創設
<第5の4>
養育費、婚姻費用の分担及び扶養義務に関する、民事執行法の運用改善
<第7の1>
財産分与の規律の見直し。いわゆる2分の1ルールの明示化
<第7の2>
財産分与の期間制限の規律の見直し
<第7の3>
財産分与の手続に関して、情報開示義務の創設
微に入り細を穿つ、といえば聞こえは良いですが、実務的な細かい点について、多様な改善提案がなされています。
正直、1つ1つの提案について、反対すべき理由はないように見えます。
が、全体的にみて、決定的・抜本的な改善にはならない。
なぜなら、離婚にまつわる金銭問題の解決は、あくまで当事者任せという現状を、決定的・抜本的に改善しようとしていないからです。これらの提案は、あくまで「履行を強制・強化」しようとしているだけで、公的介入によって、当事者の実質的平等、両性の本質的平等を達成しようとしているわけではありません。
なぜ、ここまで公的介入に背を向けるのか。(補足説明)にはこんなくだりがあります。
もうバカかアホなのかと思いますね。
この部会が開催される前、法務省では、各国の子の養育制度を調査・研究したそうですが、いったい何を調べてきたんだか。
どこの国も多額の予算をかけて、人と組織を動員して、時には刑事罰すら設けて、養育費の回収に務めていることを忘れたのでしょうか。
都合の良い頭の良さですな。
12、カネの話には背を向ける別居規定
上記のような態度は、第3の3にも現れます。
ここでは、別居時に関する監護者の定めや、親子交流(面会交流)に関する規定の創設が提案されていますが、(補足説明)には、こんなくだりがあります。
同居親にとっては、面倒ごとを増えるが絶対に助けない、という姿勢は、終始一貫しているといえるでしょう。
13、実子誘拐プロパガンダとフレンドリーペアレントルールの影
続いて第3の4(1)。
家庭裁判所が監護者を定める場合の考慮要素として、(注1)に次の点を挙げています。(P.58)
①子の出生から 現在までの生活及び監護の状況
②子の発達状況及び心情やその意思
③監護者とな ろうとする者の当該子の監護者としての適性
④監護者となろうとする者以外の親と子との関係
そして、次のように続きます。
この注の背景説明は、次ページの(補足説明)にこうあります。
この注の背景説明は、次ページの(補足説明)にこうあります。
検討の俎上に、実子誘拐プロパガンダとフレンドリーペアレントルールが入り込んでいるのです。
それは、次の面会交流原則的実施論に深刻な影を落としています。
14、別居親に忖度づくしの面会交流論
14-1、払拭されない面会交流原則的実施論
続いて面会交流(親子交流)ですが、父母と子との交流に関する事項を定めるに当たっての考慮要素の例として、P.58の注2では、次のように述べられています。
①子の生活状況
②子の発達状況及び心情やその意思
③交流の相手となる親と子との関係
④親子交流を安全・安心な状態で実施することができるかどうか(交流の相手と なる親からの暴力や虐待の危険の有無などを含む。)
このほか、「交流の相手となる親と他方の親との関係を考慮することについては、これを肯定する考え方と否定する考え方がある。」とされています。
しかし、ここではこれらの考慮要素について、どちらに立証負担があるのか明らかにされていません。
一方で、こんな記述がみられます。
上記の「面会交流原則的実施論」を肯定するか否定するかによって、議論が様々に枝分かれしていきます。
このように、部会の議論においては、面会交流原則的実施論が完全に払拭されていないため、各論点で鋭い意見の対立がみられます。
面会交流原則的実施論を肯定するか否定するかは、DV、もっといえばFV(ファミリーバイオレンス。家庭内の暴力をDV・虐待といった個別ではなく、幅広くとらえる考え方をいう。)を例外と捉えるか否かによって、結論が異なると考えます。
肯定論者は、DV・FVを例外であるという前提に立ち、原則的実施論を支持します。しかし、現実にはDV・FVを例外ケースとはとてもいえないほど、非常に多くのケースでみられることです。
DV・FVを例外視しないように、という要請は、部会の第1回会議から、この問題の専門家である戒能民江委員(お茶の水女子大学名誉教授)から示されてきました。(※)しかし、一向に共通認識として定着しなかったことが、この中間試案からうかがうことができます。
※法制審議会家族法制部会第1回会議議事録16-17頁
14-2、片親疎外論を背景にした「暫定的」「試行的」面会交流制度の詭弁
ただ、この10年の面会交流強制の批判の強さは、相手も百も承知しています。そこで、搦め手として出されているのが、「暫定的」「試行的」面会交流命令です。
これらの提案は、2022(令和4)年3月29日の第14回会議から盛り込まれて議論が始まっているのですが、当初、この提案の背景として、子の連れ去り論が背景にあることが明らかにされています。(※)
※家族法制部会部会資料13:養育費、面会交流等に関する手続的な規律及び父母の離婚後等における子に関する事項の決定に係る規律の検討(二読)10頁
これらの面会交流の規律は、次のように提案されています。
〔暫定的面会交流〕
〔試行的面会交流〕
そして、これらの提案背景は、(補足説明)の中で次のように説明されています。
見飽きるほど見てきた片親疎外論ですね。
原則であろうとなかろうと、どんな手を使ってでも親子断絶ってやつを阻止したいのでしょう。自分の努力ではなく、法的強制力で。
「一定の要件」だの「必要に応じて」だの限定を付した文言はみられますが、それがどの程度のものかはきわめて不明確で、要するに、裁判官の裁量に任されている。
面会交流原則的実施論に塗れた裁判官は、面会交流=子の利益とアプリオリに判断することは目に見えています。つまり、「一定の要件が満たされること」は最初からのお約束という詭弁なのです。
そもそもなぜ、本案の面会交流がではだめなのか。それができない要因こそが分析されるべきで、もし、本案の面会交流ができないならば、不毛な規定であるばかりか、紛争を激化させるリスクすらあります。(※)
それが分かっているから、次の14-3の発想すら出てくる。
※同様の指摘は委員からも出されている。法制審議会家族法制部会第14回会議議事録3-5頁の戒能委員発言部分。この面会交流規定の発想にプロコンタクトカルチャー(面会交流が子の利益になるという信念)の存在を指摘しており、重要である。
14-3、そして面会交流の強制へ
P.70~71にかけて、こんな提案がぼそっとされています。
そして、この(補足説明)には、こんなくだりがあります。
愚かな…。
15、血縁上の親子はそんなに大事なのか
家族法制部会では、幅広い論点が取り上げられており、P.62~64にかけて、「第4 親以外の第三者による子の監護及び交流に関する規律の新設」といった点も提案されています。
この中には、親子の再統合といった議論も示され、部会の委員たちの多くのいう、"多様な選択肢"というやつが、いかに手前勝手なものかがうかがえるのですが、私見ですが、①現実に血縁上・法的な親子関係が存在しないケースにおいては、「育ての親」に十分な権利保障が必要ではあるが、②親以外の第三者の面会交流権については、紛争をいたずらに拡大させるリスクがあり、消極的に解すべきだと考えます。
16、相手方の住所調査は悪用されないのか
P.64は非常に気になる記述があります。
この注2の懸念は、私のnote読者なら誰しもが思う不安点だと思います。
家事事件手続上のテクニカルな理由による(相手方が転居を繰り返す等)ようですが、こうしたケースはレアケースであるという指摘もなされており、なぜ、これが取り立てて提案の俎上に乗ったのか。
もっと他に大事なことがあると思うのですが。
17、濫用的申立てと安全対策ー困難な問題からの逃避姿勢―
中間試案の数少ない評価点の1つが、この濫用的申立てに関する規律の見直しを挙げていることです。
しかし、その姿勢は逃げの一手。
見直しの必要性がないと、濃厚に暗示するような物言いであります。
父母や子の安全を最優先に考慮すること(試案5⑵)にいたっては、あんなに資料が提出され、発言もなされたのに、何も書きたくないのでしょうか。面会交流をめぐるぶあつ~い記述とは好対照に、わずか半ページで済ませています。
こういうところからも、法務省は本当は何をやりたいのかが、透けて見えてきます。
18、未成年養子縁組ー別居親はどこまで口を出せば気が済むのか―
ここらへんまで読むと、別居親の執念に変な意味で感じ入ってしまいますね。もっと生産的なことに使えばいいのに。
その典型例が、「第6 未成年養子縁組制度の見直し」という項目。(P.80~89)一見、適正・健全な未成年養子縁組の実現に向けた提案の体をなしていますが。。。
2 未成年養子縁組に関するその他の要件(P.83~)
親権・監護権のない父母の関与方法について示唆されている。
3 養子縁組後の親権に関する規律(P.86~)
むろん、別居親に親権が残存する設計も提案されている。
4 縁組後の扶養義務に関する規律(P.89~)
カネの話は「引き続き検討」とのこと。
どこまでもどこまでも「口は出すがカネは出さない」を貫徹してくれています。
P.90以下の話は、本記事の11、で述べていますので割愛します。
終わりにーこれで実現される「子の最善の利益」って何ですか?
ここまで長々と読まされて、これってどこにも書かれていませんよね。。。
結局、「この人たちは何をやりたいんですか?」というのが法務系ビジネスパーソンの端的な感想であります。
要するに、「あるべき姿」論、共通理念がどこにもない。
これについて、水野紀子委員は、かつてご自身の論文の中で、次のように述べておられます。
しかし、本当に正義を「不可知」としたことは正しかったのか。
実際の部会で進められた議論は、
① 別居親への果てしない忖度
中間試案の一連の議論で、同居親の利益が優先されたものはほぼなく、全体的に、別居親の利益・利権実現に忖度した内容で占められています。
② 困難な問題からの逃避姿勢
本来、共同監護・共同養育実現のために確保されなければならない安全対策や経済的問題は、相変わらず当事者間での解決を前提として、その履行の確保を強化する方向性ばかり。「絶対にやらない」者への決定的・抜本的な対策(公的介入)を取る気は全くありません。
なぜ、こんなことが起きているのか。
学者委員の皆さんの最大の欠陥は、対立する利益の調整しか考えていないからです。換言すれば、それは「自分たちが具体的妥当性のある落としどころを探り当てられる」という傲慢さに過ぎない。
いや、本当は気づいているんじゃないかとすら思えます。なぜなら、今回示された中間試案の最大の欠陥は、簡潔に言えば、、、
③ 乱発された白地規定
を見れば一目瞭然です。要するに、「当事者の協議」や「家庭裁判所の調整」を予定した規定ばかりで、協議・調整がつかない場合の、一刀両断的な規定はほぼない。
このことは、長年の家族法の課題であると、学者委員たちはよくわかっておられるはずなんですがね。
結局のところ、
【結論】「子の最善の利益」は何か、という共通理念不在の家族法見直し議論は、戦後最悪の民法改正という結果を招く
ということかと思います。
【追記】中間試案の隠れた瑕疵-なぜ"民間"法制審議会案は俎上に乗せられていないのか?
書き忘れていたので追記します。
2022年12月20日、家族法制部会第21回が開催されましたが、そこについに北村晴男氏が登場しました。
と、ちょっと待てよ!?
ということは、中間試案をあれだけ激越に批判していた、"民間"法制審議会案は、パブリックコメントをすり抜けたということですか?
パブコメで出せないといういことでしょうか!?
ちょっとこの隠ぺい工作は酷すぎやしないですかねえ。
もし、中間試案後、"民間"法制審議会案を受けて案を改訂するならば、その部分は改めてパブリックコメントに付すべきだと強く主張します。
(了)