バカの言語学:「バカ」の語義(3) その他の辞書より
岩波書店と三省堂の代表的な国語辞典をかなり細かく見てきました。今回は他の会社の辞書もいくつか見ていくことにします。
Webで調べられる『デジタル大辞泉』
小学館からは『大辞泉』(初版は1995年)という国語辞典が出ています。紙の書籍だけでなく、データが年3回更新される『デジタル大辞泉』というのもあります。これは電子辞書などに搭載されているほか、goo辞書やコトバンクで使用できるようにもなっています。せっかくですからコトバンクで「バカ」を検索した結果から引用します。
こちらの語釈も、やはり「知能が劣」ることと「社会的な常識」の欠如を分けていますが、『新明解国語辞典』(以下、『新明解』)の第八版のように「バカ」と言う側の主観的な判断という含みはもたせていません。
『大辞泉』と『大辞林』とは名前が似ていますが、少なくとも「バカ」の項目については、語釈が全体的に簡潔で過不足がないところもよく似ています。「ばか貝の略」がないところまで似ているのはちょっとだけ寂しいのですが。
また『大辞泉』も「補説」欄で語用論的な解説を加えています。『新明解』や『大辞林』に比べるとあっさりしています。ただ、『大辞林』では語義の一つだった感動詞的な用法が、『大辞泉』ではこの「補説」欄の中に取り上げられています。
なお、書籍版の『大辞泉』にはこの「補説」欄がなく、代わりに「用法」欄があって、「阿呆」との違いについて説明があります。また、それに続いて「類語」の一覧もあります。
現行唯一の大型辞書『日国』
『日本国語大辞典』(初版は1972~1976年、以下『日国』)は『大辞泉』と同じ小学館から出ていますが、全13巻(+別巻)、50万項目を収録する日本最大の国語辞典です。
『日国』は、辞書の世界では「現在出ている中で唯一の大型辞書」ともいわれています。『広辞苑』や『大辞林』や『大辞泉』だって大きくて重いじゃないかと思うのですが、これらは「中型辞書」と呼ばれています。やはり全13巻の辞書と比べれば、『広辞苑』でもコンパクトということにはなります。
『日国』も内容が電子化されていて、「ジャパンナレッジ」というサイトで閲覧できます。ただしこのサイトは有料会員制となっています。
この『日国』の第二版で「バカ」引いてみましょう。ただし、『日国』は用例が非常に多く、言葉の歴史や方言なども非常に細かく記載していて、それらをすべて引用すると膨大な長さになりますので、語釈のみ(と用例をいくつか)抜き出すことにします。
語釈だけ見ると、⑥と⑦を除けば今まで見てきたものと比べて、特に新味があるわけではありません。②の前半は『広辞苑』と全く同じで、その後も「常軌を逸したことやそういうさまをいう」となっており、『広辞苑』の「とんでもないこと」とだいたい同じような内容です。
ただ、②の意味での同義語が「たわけ」になっているのはちょっと驚きます。「たわけ」というと、愛知県やその周辺で「バカ」を表す方言という印象があるのですが、②の意味でなら他の地方でも使われているということなのでしょうか。「たわけ」を『日国』で引くと、以下のように書かれています。
①の「特に、みだらな行為、許されない性的ふるまいをすること」というところにどうしても目が行ってしまいますが、これについては別の機会に詳しく見ていくつもりですので、ここでは触れません。ただ、①や②のような意味もあるということで、「たわけ」と言う言葉を単なる「バカ」より「常軌を逸した」という意味が強いと『日国』は見なしているようです。
さて、本筋に関係ありませんが、⑥と⑦にもついでに触れておきます。
まず⑥のほうですが、柳多留に「ばかでやりやめのこがゑゑと夜そばいひ」(夜そばの勘定を「ばか」で計算しようとしたら目で見りゃわかるとそば屋に言われた、という意)など、この道具を指す「ばか」が出てくる川柳がいくつか載っているようです。実物の写真なり当時の絵なりが見つからないものかと、ネットで検索を試みましたが、全く見つかりませんでした。
⑦については、ウィキペディアの「馬鹿」の項に、釣り用語としての「バカ」について以下の説明があります。
この「長くなった分」をなぜ「バカ」と呼ぶのかは、調べがつきませんでした。おそらく「標準から外れている」とか「余計者」とかいうような意味からの派生なのだろうと思います。
『新明解』と対照的な『明鏡』の観点
次は大修館書店の『明鏡国語辞典』(初版は2002年、以下『明鏡』)で「ばか」を引いてみます。
『明鏡』は、辞書に詳しい人たちの間では、語義の分け方が細かいことで知られているそうです。確かに、上に引用した「ばか」の項も、「ばか貝の略」を含まないのに語義が7つもあります。もっとも、一つ一つの語釈は簡潔です。
注目したいのは、単に程度の大きさを表す⑥⑦を除くと、「常識」や「ふつう」のような判断基準を表す言葉が使われていないということです。①の「頭のはたらきがにぶい」という言い方もそうですが、まるで「バカ」という性質が「バカ」と言われた側に内在しているかのような表現になっています。「「バカ」の語義(2)」で見た『新明解』の語釈のように、「頭が悪い」という判断までを「バカ」の語義と見なす、言われた側や第三者からの見方はとっていません。つまり、「『バカ』は端的に『バカ』だ」ということです。
①の語釈の後には語用論的な説明がありますが、「公的な場では最大の罵倒語となる」とかなり強い表現をしています。これは「バカ」の語義について上記のようにとらえたことの帰結のようにも思えます。
個々の語義の中で注目したいのは③です。「バカ」の語義として「損をすること」を独立した形で挙げている辞書は、私が見た限りでは他にないようです(ただし「バカを見る」を成句として掲載し、語釈を「損をすること」としているものは複数あります)。
「「バカ」の語義(1)」で私は、『広辞苑』において「つまらないこと」と「とんでもないこと」が同じくくりに入っていることに対し、損害のあるなしという違いがあるのだからこの2つを分けてもいいのではないか、と書きました。『明鏡』は、まさに損害のあるなしを分けていることになります。
講談社の『日本語大辞典』は該当する英単語も掲載
次は講談社の『講談社カラー版 日本語大辞典』(初版は1989年)。タイトルどおり、フルカラーの国語辞典で、写真やイラストが豊富です。
語釈は非常にシンプルで、用例も少ないのですが、該当する英単語が載っているのが特色です。
もっともほんとうに、「愚かなこと・人・さま」が "fool" で、「常軌を逸していること・人・さま」が "stupid" …という分け方で合っているのか、私は英語に詳しくないのでわかりません。それにそもそも "fool" や "stupid" だって、日本語の「バカ」同じで、複数の意味を含んでいるのではないかとも思います。もちろん、和英辞典ではないのですから、参考程度と思えばいいのでしょうが。
ちなみに「実用日本語表現辞典」というウェブサイトで "stupid" を引いてみると、 "stupid" と "fool" の違いを、以下のように説明していました。
この記述のとおりなら、『講談社カラー版 日本語大辞典』によれば、単に「知能の働きが劣」っているバカよりも「常識からはずれている」バカのほうが「生粋の馬鹿」であり、「人格を根底から否定す」べきと見なされている存在だ、ということになります。
もうだいぶ前のことですが、歩道を歩いていて、正面から来た人を避けようと横に動いたら、背後でキーッと自転車の急ブレーキ音が聞こえたので振り返ると、怖い顔をした白人の中年女性に "You damned stupid!" と罵られたことがあります。あのときの私は、人格を根底から否定されてしまったということなのでしょうか。そう思うと、非常にいやな心持ちになります。
◎参考・引用文献
『デジタル大辞泉プラス』 ウェブサイト「コトバンク」にて閲覧 https://kotobank.jp/
北原保雄『日本国語大辞典 第二版』 小学館、2003年
「馬鹿」 ウェブサイト「ウィキペディア 日本語版」にて閲覧 https://ja.wikipedia.org/wiki/馬鹿
北原保雄編著『明鏡国語辞典 第三版』 大修館書店、2002年
梅棹忠夫ほか編『講談社カラー版 日本語大辞典 第二版』 講談社、1995年
ウェブサイト「実用日本語表現辞典」にて閲覧 http://www.practical-japanese.com/