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賛美のあとの静かな夜に

 わたしの故郷は、アメリカのアラバマ州にある。母教会と言うべきだろうか。十代から二十代はじめまでの十数年間、夏が来るたび、そのアラバマの教会へ行った。教会のひとたちはやさしくて、毎年々々わたしをホームステイさせてくれた。

 家から家へ転々としながら、わたしはあの教会の家族の一員であった。教会のひとたちより、それぞれの家庭を知り尽くしていたかもしれない。なんだか簡単には説明できない、ふしぎな育ちかたをした。

 そこで学んだ英語で、いま日本の教会で通訳をしたりしている。アラバマのひとびとから受けた恩は、日本での伝道というふうに結実しているのかもしれぬ。神さまはほんとうにふしぎな形をもって、わたしを育ててくれた。

 あの教会で洗礼を受け、聖霊のバプテスマを受けた。反抗的なティーンエイジャーで、形だけのクリスチャン二世でしかなかったわたしが、親によるのではなく、自分自身でキリストを選ぶことを決めたのは、あの教会で過ごした夏のお蔭だった。

 アラバマの教会との縁は、日本にいても切れてはいない。ライブストリーミングやその録画で、いまも礼拝を追っている。

 いま、あの教会の賛美がすごい。聖霊が枷をはめられることなく、自由にあふれている。あの教会はいつだって、賛美が自由なことで知られていた。何年ものあいだに、ひとやことがそれを妨げることはあったけれど、いま、あの解放された賛美が帰ってきている。



 以下の短歌は、大雨警報の夜に、礼拝の録音をききながら、いっしょに賛美していて出来たもの。




キリストに包まれてゐる感覚に
較ぶるものがこの世にあるか

知りをれどわれは忘れむ彼のひとを
見つめたきいま人のことなど

わが胸は痺れていをる彼のひとに
満たされるやうな賛美のあとで

撫でるやうに谷吹く風に彼のひとを感じむ
世界は神に満ちゐる

聖霊のけはひ漂よふ暗き部屋
賛美のあとの静かな夜に



↓アラバマの教会について書いたもの


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