ゲームでの挫折が僕を成長させた セーブが消えるという戦いが諦めない心の原点。
note毎日投稿を振り返り
途中で投げ出したくなる気持ちになんとか勝つことで
ここまで来ました。
普通の人ならば諦めてしまうところですが
周りを気にせず諦めない力はどこで身に付けたのか?
そんな疑問があったのですが・・・・
幼少期に、知らぬ間に諦めない気持ちを鍛えたのだろうと
ふと考えることがあった。
その答えは
ドラクエ3だった。
しかも、ただのドラクエ3ではなく
セーブが頻繁に落ちるドラクエ3です。
今日も記事をみつけていただき、ありがとうございます。
昔のゲーム、特にファミコンやスーパーファミコンなどのゲームには
今の時代には当たり前に備わっているものが、貧弱でした。
セーブデータの保存。
ファミコンやスーパーファミコンなどをやっていた世代のあるあるですが
今の子供たちは
セーブされることが当たり前で育っていることもあり。
ここの考え方は自分達のような世代には色濃くあるので、メンタルは強いだろうと勝手に思っております。
今日は、note記事でも数回お話ししている、ドラクエ3の話、諦めない力についてお話ししようとおもいます。
ドラクエ=セーブをいかに消えさせないかの戦い
「おきのどくですがぼうけんのしょ1ばんはきえてしまいました。」
ファミコン、スーパーファミコンの世代では、いかにこの上記の状態にしないかが、ドラクエクリアのカギみたいなようなものでした。
そして、この音楽と言葉を聞くと
いままで積み上げてきた自分の作業がゼロになるという絶望感を味わう。
今では懐かしい思い出です。
ですが、当時のゲームはセーブが消えることが当たり前だったので
落ち込む→また最初からやり直す→新しい大陸に到達→消える→落ち込む→最初からやり直し。
この繰り返しでした。
大人になると、さまざまな対処法は頭の中に思い浮かびます。
・ファミコンをそのまま電源ONにしたままやる
(※親に怒られる)
・ギリギリのレベルで先に進む。
(※小心者だったので、スタイルを変えられない)
・最低限の装備で進む
(※完璧主義だったので、その大陸で完璧な装備を目指す)
今思えば、セーブデータが消えても、スタイルは一切かえていなかったのでかっこの理由でスタイルを変えられなかった頑固な性格でした。
結局、小学校1年生~小学校6年生までトライしてやって、セーブデータの貧弱性を認めざるを得ない状況になり挫折。
セーブデータの消えない復刻版を大人になって達成という流れになりました。
でも、そこまでしてドラクエ3をクリアしたいと願ったのも
幼少期にデータが消えるという心が折れることを何十回も経験したことが大きかったと思われます。
何度でも立ち上がる。クリアするまでチャレンジする。
自分自身のnote毎日投稿挑戦は
仕事の挫折というか、大失敗をしたことが原因でした。
お客様から言われたことが、本当に悔しかったし
自分が仕事以外で成長し、何か作り上げるためには
毎日noteを投稿できるくらいの量を当然やらないと、少なくとも何も始まらないと勝手に思ったからです。
ドラクエ3も
「冒険の書が消えたくらいで、お前は諦めるのかよ!?」
と言われているような感じで
何度も立ち上がったような気がします。
note生活がここまでくると、実は自分には空気を無視して諦めない力はある程度備わっていたことに気が付いた今日この頃です。
最後に
今の時代は、自分のように
セーブが消えた
という現象は、絶対に起こらないし、そういうことが当たり前です。
逆に、これをしたことで便利になった反面、挫折する機会を奪っているともとることができます。
しかし、幼少期だからこそ
諦めない気持ちを育てる機会は、どこかで小さな挫折という形で経験させておいた方がいいと思います。
その力は、継続させる力に大人になった時に役に立つと自分は勝手に実感しているからです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ふぉあぐら