言葉の刃を研ぎ澄まそう
昨日は久々にキレッキレの文章書いた感。
しかし、冴えてたのは朝だけ。透析終わるやフラフラで倒れてしまう体たらく。
いや、原因はわかってる。貧血症状だ。
ともあれ、半日横になって何とか復活。
さて、そういえば思いの丈ぶちまける文章書いたのっていつ以来だろう?
おそらくはアメブロよりも前、mixi以来かもしれない。
その頃は日記を時系列に書いていた。日記がつぶやきになって短文メインになって今度は短く収めることが主軸となっていき、それがTwitter、Facebook等SNSへと続いていった経緯。
この数年、数行完結の短文ばかり、久々に書いてみると文章書く能力もだいぶなまってるのを感じたところ。
いわば久々に取り出した剣、その刃がすっかり錆びていたかのような。
そんな錆びた剣を鈍った腕で突然振り回したものだから精神が痛みに悲鳴上げたのかもしれない。
筋トレやウォーミングアップ怠った身体を急に動かすとどうなるかというものだ。
ペンは剣よりも強しというが、その剣も常に研ぎ澄ましておかなくてはと感じたところ。
その目的は何か?
言葉の刃で人と戦うため?否違う。
決して人を傷つけるためではない。自分を守るためとも違う。
そうではない、自分の軸を確たるものにするため。
ネットのはいろいろな人々の言葉が飛び交う。玉石混淆。
有益な情報もあれば一方的な見方のもの、憶測や思い込み、つくりごとや陰謀論まで。
そうした有象無象のノイズにも動じない、揺るがない心を培う。
まさに武芸に通じるものがあるようだ。
職人の世界においても、よく手入れして切れ味を保っている刃物こそ安全に使える。
切れない刃物は危険なだけ。いい仕事は道具を大切にするところから始まる。
note書き始めたからこそ、言葉の切れ味も磨いてゆきたいものだ。
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