最後の最期のプレゼント。
※こちらの後日談となります。重い話になるかと思うので、無理はしないで下さいね🙇
これは私なりの追悼の儀なので……
じーちゃんの容態があまり良くないと連絡が入り、父と母が朝一番に病院に駆けつけた時、私は直感していた。
その日は母の誕生日だったから。それも人生の節目として、いつもより特別な誕生日で、サプライズで母の好きなものを買ってきてねとこっそり父と打ち合わせしていたほど。
結果、母に渡せたのは
こちら+手紙+αになってしまったけれど……
事前にじーちゃんを一度家に連れて帰ることは決めていたから両親がいないうちに祖父宅を汗だくで掃除した。
その時はご先祖様の遺影に頭を下げながら、掃除機をかけた。(モノクロ写真が昔から苦手なもので……)
でも何かを話しながら掃除したことは覚えている。「今じーちゃん頑張ってるんだよ」だとか「スリッパで畳のヘリを踏んでごめんなさーい!」とかだった気がするけど😂<とても厳しく、しっかり者のおばあ様がいたと聞いていたもので💦)
一旦帰ってきた母から聞いた様子でも長くはないのがわかった。それでも母が家で休憩できるくらいの時間はあったと思う。やっぱりじーちゃんは母を一番信頼しているのだ。(下手したら父さんよりも付き合い長いし)
昔は散々喧嘩もしたそうで、母が植えた食用花を勝手に引っこ抜き、好き勝手に木を植えたり……を互いに繰り返して、ご近所さんと庭の植木や植物で諍いをするという小説(これもオチでは結託してスカッとするのよね🤭)をまさに実写化したような二人だった。
でも畑の溝で転んで亀のように起き上がれなくなったじーちゃんを見つけ出したのも(二回くらいあった模様)、今の病気を発見したのも母のおかげだし、葬式のローカルルールを把握しているのも今や母しかいない。
前のエッセイにも書いたようにじーちゃんはとにかく敏い。それは母も同じで、この二人の第六感的なものはガチで侮れない。(母は予知夢も見るタイプ。)
だからこそ、私も家と心の準備を整えていたのだ。
それでも父から亡くなった時間がラインで送られた時、自分でも戸惑うくらいポロポロ涙が溢れ出た。でもその時間もまた母の誕生日の数字が入っていて(後に1秒ミスと知るも)どんだけおかんLOVEなんよと泣き笑いした。
って泣いている場合ちゃう! と奮起して仏間に向かったのは、じーちゃんを運び入れる場所を確保すること、その際に仏具を移動する可能性があるから正確な配置の写真を撮っておく、というミッションがあったからだ。
その時にも泣きながらご先祖様に必死で伝えた。
「最後の最期まですごく頑張って生きてきたから、どうかじーちゃんを温かくお迎え下さい🙇早くに両親や兄妹を亡くしてから最後の一人としてこの家を守り続けてくれた人なので……お願いします🙇」
と。まあ孫がしゃしゃり出なくても、ご先祖様の方がよっぽど会いたがっていると思うのだけれど。
でも心なしか午前中に見た時よりご先祖様が柔和な顔つきをしていたように思う。(これは私特有の都合のいい解釈。)
そして、仏具をいじっていると(うちの宗派なのか、見栄を張ったのか羽釜並みにでかい)おりんを指で触れるとツーッと埃がつきまして……
「こりゃ大変だ! 線香で粉まみれ!ご先祖様に怒られる!」
と慌てて拭いた。そこから先は助っ人が加わり、くたびれ果てて脱力とふるえが起きて、ソファーに何とか横たわってからはもう記憶がない。(気がついたら寝てた。ごめん🙏)
じーちゃんは地元の知識が豊富な(新聞をよく読んでいたから、それ以外の理解力・記憶力も長けていた)生き字引のような人だったから(名字で孫の恋人の出身地を当てたり、裏道にも詳しかったりする)、入院する前に通っていたデイでも人気者だったそうだ。(送迎にも一役買っていたらしい。)
ただ観察眼もズバ抜けているからどこに入所しようと、どうすれば抜け出せるのかもすぐに気づき、逃亡したことも数知れず……
病気で入院していた時にもナースステーションの目の前にベッドが置かれており「どんだけ逃亡(未遂)したらそこにベッド置かれるんよ……」と、お見舞いに行って、心の中でひっそり思ったこともある。(家にいても家出騒動は時折あったけどね😂)
でもその後、デイでの作品が徐々に家で飾られるようになり、「じーちゃんすごいやん!」と出来映えを褒めたら、どうやら製作中に御姉様方が両脇につき手取り足取り、仕上げはお母さんスタイルだと判明し、じーちゃんの謎の春の訪れに「まあこれはこれでありか」と妙に納得した覚えがある。(御姉様方が両脇でがっちり見守ってくれているのなら、逃亡の心配ないやん?)
そんなじーちゃんだから、私が寝ている間にもひっきりなしに近所の弔問客が訪れていたようで、両親や兄妹を早くに亡くして、若くして大黒柱となり、この地で信頼と実績を積み上げてきたんだと実感した。
そして、たまたまそういう年の写真を購入したからかもしれないけれど、部屋に飾られている地元の祭りの男性陣の集合写真にじーちゃんがドセンターでいることに気づき、目立ちたがりの屋のじーちゃんらしさ全開で一周回って微笑ましく感じた。
そのくらい地元に根を張って生きてきたじーちゃんは、リセット症候群の私からしたら、ものすごく偉大だ。私はどちらかというと祖母経由の父似で、じーちゃん要素は見た目も中身もあまりない。(裏道どころか一回行った場所でも迷子になるしな( ̄^ ̄)うーむ)
じーちゃんはぼそっとコミュ力高めで中身は中学生男子みたいな人でもあった。戦争時の銃弾を拾って持っていて自慢したり、こたつの下で足でこちょこちょしてきたり、おもちゃの虫を「ほれ!」とわざと投げ渡してきたり……(田舎で育ちゃあ、そのくらいではびくともしねぇぜ!)
歌いもしないのにカラオケボックスをもらってきたり、業者が配管の工事か何かをするために掘った穴を休憩時間中に勝手に埋めて母とバトッていたこともしょっちゅうだった。
あんこも餅も大好きでお正月のお雑煮も5つ、下手したらそれ以上もペロリだった。それも年々数が減っていき、むせながら食べたりする姿を見て孫からしても老いを感じていた。
でも、親戚が揃ってケーキを食べていた時に割れたグラスの破片を踏んでも血一滴流さず、本人も痛みも感じていなかったようで「じーちゃんの足ってゾウ並みに丈夫なんやな」と妙に感心したこともあった。
人工関節は入れていたけれど、むしろ本人は自慢していたくらい無敵感が常にあった。(先祖がこぞって、じーちゃんを守っているのかなとも。)
相撲や駅伝も好きだけれど、トーナメント表に律儀に記していたほど高校野球が特に好きだった。そのまめな記録がまた母とかぶる。
年々、母に似てきたと言われるようになってきた私もぼちぼちじーちゃん要素が開花するのかな? とふと考える。(なぜそこに血の繋がりのない母が経由するのかは全くもって謎でしかないけれど!)
強いて言うなら、耳がいいところは受け継がれているかもしれない。私も一階で話していることの大半は二階でいても聞き取れる。唯一優れている部位といっても過言ではない。
じーちゃんも最後の最期まで、耳がしっかりしていた。だからこそ、私の言葉に反応し、個別握手の日に必死で何かを訴えようとしていたのだ。(耳たぶ触った件、怒ってたりする🥺?)
母は自分の誕生日と義父の命日がかぶるという忘れられない日となった。ここ数年だけでも危ない時期が多々ありながらも乗り切ってきたから、わりと青天の霹靂ではあった。
亡くなったその日は私も喪失感を感じたけれど、そこにはじーちゃんなりの母への感謝の気持ちと配慮、父への鼓舞もこもっていたように今となっては思う。
なぜなら母が、その数日前に持病の病院に行き、免許の更新も済ませた直後だったからだ。だから亡くなった翌朝、私は母に伝えた。
「きっとこれがじーちゃんからの最期のプレゼントなんちゃう? だって365日ある中から母さんの誕生日に狙い打ちするってよっぽどやで。しかも産まれた日からもう一回しか巡ってこんかもしれん誕生日に。やからきっともうわしの心配はせんでええぞっていうじーちゃんなりの計らいなんやと思うで。じーちゃんなら、そのくらいチョロいやろうから」
というと
「まあ、そう受け取っとくわ」
母も少し表情が和らぎ、実の妹にも笑いながら話していた。(その後、今年は366日だと訂正されたけれど😂そして確率の計算をしたらサマージャンボ宝くじの2~3等レベルだった🙈笑🙈)
そして完全に定年した父に対して「家長として任したぞ!」という思いと農家一年生として売るにはまだまだとはいえ、ようやくナスやキュウリが収穫できるようになり、初盆には間に合わないけれど
「来年はもっと立派なキュウリ馬とナス牛を作れるようになっとけよ」
という叱咤激励のようにも私には思えた。
本式のお通夜や葬儀には病気の症状がどう出るかわからない私は列席できなかった。
でも不思議なことに霊柩車が家の近くを通ったであろう時間帯に私の口や目が勝手に泣いているかのような動きをしたのだ。これは、じーちゃんの最期のいたずらなんかな??
一応、出られない代わりに棺に入れてもらう手紙を家族に託していた。亡くなったその日に手帳に思いを記しており、あ! 棺に入れたら、じーちゃんにも読んでもらえるやん!と思い立ち清書したのだ。
そこには追記として、もしも守護霊になるなら母さんを助けてあげてな、としたためた。
誰の守護霊になるのかは、人生ゲームなどでくるくるする盤みたいに回して決めるんかな? っていうのは守護霊ゼロのただの私の妄想なのだけれど……😂<こういうアホみたいな発想はどこからともなく降ってくる🌠)
まあじーちゃんのことやから、49日どころかしばらくはあらゆる人を観察し、己で守護霊になりたい人を見極めることだろう。
それより今年の高校野球は空から見えるで! って、わざわざ言わんでもじーちゃんのことだ。ふらっとしれっと現地に行きそうだから、私がトーナメント表書かないかんのかな~? 野球のルールも知らんのに~! と思ったりもする。(おまえ、そんなんもわからんのかって既に聞こえてきそう。)
また、私はじーちゃんの杖を形見としてもらった。(というか、その前から借りていた。)
最初は大事にしようと思っていたけれど、今は「杖を大事にもするけど、いらんでも大丈夫なように元気になるからな!」というのが私とじーちゃんだけの秘密の約束だ。
こういう負けん気の強さというか、頑固で負けず嫌いなド根性魂こそじーちゃん譲りなような気もしなくもない。何せじーちゃんは危機的状況を何度も乗りきってきたのだから。
じーちゃんへ
これまで大黒柱としてご苦労様でした。
こっちの世界のことはこっちでなんとかするから何の心配もせんと、ご先祖様と積もり積もった話をしてね。みんなきっとじーちゃんの話聞くん楽しみにしてるでー!
だから、安らかにお眠り下さい。
私のじーちゃんでいてくれてありがとう。
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