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8分小説 『君とデートするために生きている』
白衣を翻しながら、待ち合いのベンチで目を閉じ俯いている男性にそっと近づく。
「こんにちは、郡谷さん」
そう声をかけると、男性はゆっくりと顔をあげた。
「…こんちわ」
口調はぶっきらぼうだけど、以前よりずっと柔らかくなった表情に笑いかける。
「お待たせしました。どうぞ」
白く重たいドアを開け、中へ入るよう促す。
ドアノブにかかったプレートをひっくり返してから私も後へ続いた。
大きめなテーブルと向かい合うように設置された二脚のスチール椅子。ドア側の椅子を郡谷さんに勧め、彼が座ったのを見てから私も腰を下ろす。
「これに記入お願いします」
いつものように二枚綴りの用紙と鉛筆を渡す。
郡谷さんが慣れた手つきで書き始めたのを視界の端に捉えると、私はテーブルの上のノートパソコンに手を伸ばし、前回の記録に目を通す。
その間も郡谷さんは時々迷ったり、設問を飛ばしたりしながら鉛筆を動かす。
「……ん」
返された用紙の隅に設問ごとの点数をつけ、合計点を素早く計算する。
前回と変わらずそれほど悪くない点数だ。
「調子良さそうですね」
「……まあな」
「相変わらず性欲はしっかりあるみたいで何よりです」
「へへっ、そうだろ?」
ここに通い始めた当初はそれすらもなかったのだ。でも、面談を続けていくうちにいつ頃からか、冗談なのか本気なのか性欲の有無を問う項目にだけ必ず「とてもある」を選択するようになった。
その辺りからかもしれない。少しずつ郡谷さんの表情が和らいできたのは。
「で、どうですか? 最近は。何か気になることとかありますか?」
「んーそうだなあ……」
「前回は、近所のお宅の騒ぎ声が気になって眠れないって言ってたじゃないですか。あれからどうなりました?」
「あー言ってたなあ……でもだいぶましになったよ」
「良かったじゃないですか。最近はおさまったんですね。その声」
「んーん。むしろ激しくなる一方」
「え、」
「うそ」
「もー! 冗談はやめてください」
「いや、ま、うん。まだ聞こえることには聞こえるけど。前よりは気にならないかな」
「へえ。何か心境の変化でもあったんですか?」
「その声がさ。なんと!」
「なんと?」
「喘ぎ声だったんだよ」
「……へーえ」
「おかげで遠慮なく爆音で音楽流せて、毎日ぐっすり!」
「……いやちょっと意味わかんないです」
「どこがだよ」
「爆音の中で眠れるなんて、よくわかんないです」
「ったくもーバカな女だな」
「んなっ! そ、そんな私のことはどうでもいいから、郡谷さんのこと教えてくださいよ」
今でこそこんな風に冗談を交えて話せるようになったけど、かつての郡谷さんはスチール椅子にふんぞりかえって目を閉じたまま一言も喋らないこともあった。
あの頃は郡谷さんとの面談が苦痛でたまらなかったなあ…
「こ、郡谷さん…」
「…………」
「あ、あの、何か些細なことでも構わないので心配なこととか不安なこととかありますか?」
「…………」
刻々と過ぎゆく時間。沈黙という名の暴力的な静寂。
傾聴も、共感も、同調もクソくらえ! と思った。大学で習ったカウンセリング技法なんて何一つ役に立ちやしない。
なら、私ひとりで喋ればいい。
「あ、あの郡谷さん」
「…………」
「す、好きな犬の種類ってありますか?」
「……は?」
初めて見せた郡谷さんの変化に、私は心の中でガッツポーズする。
「わ、私ブルドッグが好きなんです。昔、友達にブルドッグに似てるなって言われて、それで……」
「……ふ、」
「ふ?」
「ふ、はっ、なんなのその理由」
「だ、だってブルドッグってかわいくないですか?」
「……それぶちゃかわの方やろ?」
「……え?」
これが私が郡谷さんと初めて交わしたまともな会話だった。
「おーいせんせい聞いてんのー?」
「あ、あぁ……なんでしょうか」
「何ぼけっとしてんの?」
「いや、えーっと、昔のこと思い出してて」
「ふーん」
「で、何の話でしたっけ?」
「今日でもう最後だなって」
「……そう、ですね」
郡谷さんが軽く放った言葉が私の胸にずしりと重くのしかかる。
「もう三年も経つんだな」
「そんなになりますか、」
「いろいろあったよなあ」
本当に。本当にいろいろあった。
郡谷さんはちっとも真面目な患者じゃないから、予約をキャンセルするのは当たり前。
かと思えばふらっと「今日空いてる?」なんて居酒屋感覚で現れる。
面白そうだと箱庭をいじくりまわし、人形たちが激しく絡み合う作品を見せられたときには精神どころか神経を疑った。
音楽療法を偽って郡谷さんが持ち込んだギターに合わせて即興で歌を作ったこともあったし、アートセラピーだなんだと唆されてヌードモデルをさせられそうになったこともあった。
そんな郡谷さんはやっぱり治療にも不真面目で、まともに薬を飲まないことや逆に多量服薬することもあった。
危なっかしくて、目が離せなくて、突き放せなくて。
そのくせ、時々私の人生相談に乗ってくれたこともあった。身の上話にも付き合ってくれた。
本当の本当の郡谷さんは、誰より生きることに真面目だった。
だから前回の面談の終わりに「今度引っ越すから次で最後にしてな」と言われたときには、ついにそのときが来たんだと思った。
カウンセラーはクライエントに特別な感情を抱いてはいけない。
わかってる。わかってた。
でも、どうしてだろう。なんでなんだろう。
いつからか私は郡谷さんに会うと自分でも抑えきれないくらい感情が揺さぶられるようになった。
くだらないやりとりひとつに心をときめかせるようになった。
まるで自分が自分じゃなくなったみたいに。
でもカウンセラーとクライエントはプライベートで決して関わってはいけない。
だからこの病院以外で、私が郡谷さんに会う方法なんてない。
白衣を脱いだ瞬間に、仕事で得た情報を全て忘れ去らなければならない私に。
郡谷さんとはカウンセラーと患者以上の繋がりなんてない。
ないんだ。
だから、もう今日で本当に、本当に、最後なんだ。
郡谷さんはここでのカウンセリングをやめる。
そしたら、もう、会えない。
「………っ」
ねえ。なんで。
こんな私、カウンセラー失格だ。
白く無機質な部屋に私が鼻をすする音だけが響く。
「…せんせい」
「す、みません、取り乱しちゃって、」
「…好川先生」
「ごめんなさい、ほんと。最後に見苦しいとこ見せちゃって。郡谷さん、新しい場所行っても……」
「……俺もうここ来ねぇから」
「わかってますよ。だから今日で最後の面談なんですよね」
「わかってねぇよ、全然。なんも。バーカ」
「またバカって……」
「今日で俺はここの通院をやめる。そしたら俺らはもう先生と患者の関係じゃなくなるんだろ?」
「……そう、です」
「俺、好川先生のおかげで、やっとここまで持ち直したんだよ?」
俯いた私を覗き込む郡谷さんの瞳が揺れる。
「もうどうでもいーやって思ってた。このまま一生笑えなくても。泣けなくても。生きていけなくても」
「………」
「…死んでも」
「………うん」
「でもあるときから嫌になった。死ぬのだけは絶対に嫌だって思った。どうしてか、わかるか?」
上手く答えられなくて首を振る。
「好川先生に会うだけのために俺は必死で生きようって思うようになった」
「……え?」
「そしたらもう……なんか死ぬのなんてアホらしくなった」
そう自嘲気味に笑った郡谷さんにはもうあの頃の悲壮感はなかった。
「……けどこういうの陽性転移っていうんだってな」
患者から向けれた好意をそう呼ぶことがある。でもそれは医者が自惚れないための戒めなのかもしれない。
って今だけはそう思ってもいいのかな……
「でもぶっちゃけそれでもいっかなって思ってる。出会ったきっかけはカウンセラーと患者の関係でもさ、いずれ恋人同士になれば別にいいんだろ?」
と小首を傾げて問われたので、反射的に頷いてしまう。それが正解か不正解かもわかりもしないで。
「これあげる」
「……え?」
「……好川、さんに似てるから」
ぼそっと呟いたその意味が気になって、私は茶色い小さな袋を開ける。
「……あ」
中から出てきたのは
わんこのモチーフのフエルト製のブローチ。
「これって……パグ……?」
「…バカ。ブルドッグだよ」
あぁ、覚えてくれてたんだ……
「俺も好きみたい、ぶちゃかわ」
(20181026)
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