自分で創る非日常 ~春光日々新~
決めてすぐのうちは、いつやるか?時間は決めていなかったが、
今では、1人になって、足など自由に曲げ伸ばしができる
静かな空間を選ぶ。
エクササイズに取り組むために。
場所は家族が寝た後、夜のリビングだ。
これまでの私は、一緒に自分が寝室にいないと、子どもは寝られないという不確かな習慣を作り出していたのだ。
そこに新しい選択肢を用いて、実行したことがすでに非日常なことなのだが、もっと言うと
日々繰り返し行い、習慣として馴染ませたこと。
それは、私が私のために時間をかけ、私に与えた大きな収穫だ。
(習慣とは、反復によって習得し、少ない心理努力で繰り返せる、固定した行動のこと。Wikipediaより抜粋)
さて私がエクササイズするときの欠かせないお供は、僧侶であり音楽家である薬師寺寛邦さんの曲なのだ。
イヤホンで音を独り占めしながら行い、私にとって、自分で創る非日常を、過ごしてる時のことを書いておこうと思う。
手の上にベビーオイルを乗せ、足から揉み解していく。
今日1日が無事に過ごせたことへ感謝の意を流し込むかのように熱く丁寧に。
寛邦さんの創り出す音により、この手が別人の物のように、しなやかに働き始め、カラダの筋肉も反応を始める。
心は乱れなく、研ぎ澄まされている。
高い集中力、折れない芯ができたような感覚だ。
般若心経の音色を、声には出さず、私の中だけで唱える。
折れない芯ができた胸のあたりと
シータ波になってる脳の奥深いところを使って唱えているような感覚。
感度MAXの状態である。
中でも私が好きな1曲は、四国八十八カ所霊場第47番札所の八坂寺さんでの曲だ。つぶる瞼の中で眼球に力が入ったり、頷くように首でリズムをとるかのように力が入ることもあれば、涙が出ることもある。このような時、自分の中には、力強いエネルギーが湧き起こっている。折れない芯と相まって、なんでも出来るような威風堂堂のオーラの中に自分がいる感じ。
ほかにもランダムに、音の種類の多さも魅力的。約1時間かけて、寛邦さんの般若心経を聴きエクササイズを終える。
すると、私は
テーブルの上にある先に煎れておいたほうじ茶に手を伸ばす。人肌程度になっているそれを補給してから寝室へいく。
般若心境とエクササイズによって落ち着いた心身で、習慣を完了させるときの心地良さ。
「今日もやれた」という誇らしく満たされる感覚と
ほぐれ、温まった体温とを贅沢に感じながら
穏やかに眠りに就く。
柔軟性が上がったか?というと、絵になるような大きな変化はまだない。
ただ、使えるようになった筋肉に気付けるようになった。
この小さな変化に気付けるようになった。素晴らしき前進。
「春光日々新(シュンコウ ニチニチ アラタ ナリ)」この禅語の意味を調べると、解説者によって意味が様々ある。これから紹介する解釈は、薬師寺寛邦さんの解説にハッとさせられ、参考にして私なりの言葉に書き換えさせてもらったもの。
春先には、日が伸びた、蕾が膨らんだ、という変化に気付きやすい季節である。
”小さい変化に気付きなさい。そこには、美しさや感動がある。日常に流されていると気付けない、自分がしっかり向き合えていないと気付けない。それは自然や宇宙からの貴重なメッセージ”だと、私は思ってる。
今日も新しい変化に気付いて、新しい1日を過ごせるように。
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