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モチベーションの源

小さいころの経験とそのときに感じた感情が、今の頑張るときのモチベーションの源だったりする。
それは小学生のころの少年サッカーでの経験に遡る。

〇小学時代

今でも明確に記憶があるのは、小学校1年生の冬から、本来3年生からの入部が決められているところ、兄がやっているところをしょっちゅう見学に行っていて、「お前もやってみればいいじゃん」と小杉コーチに言われたのを発端として、ジーパン姿でアップのランニングから参加してそのまま入部した。今考えてみると、ここは体育館で始まりはフットサルだった。フットサルに始まり、フットボールキャリアは17年でフットサルで終えたことになる。
兄が先にサッカーを始めていたこと、父親がスポーツが好きだったこともあり、運動することへの関心は強く、積極的で、「おれ得意なんだぜ」と粋がっていた。友達は多い方だったから、それを鬱陶しいと思う友人はそれなりにいたと思う。

小学校3年4年と進学していくにつれ、サッカー少年団でのチームメイトも増え、皆上達していった。学年の中では誰よりも早くから始めたという先行意識への価値観が強かったからだと思う、チームでは自分がリーダーとして前に出ることが多かったし自信もあった。

ところが高学年になると、皆身体が大きくなっていくのに自分は小さいままだった。6年の最後までキャプテンとして千頭に立っていたけど、このころにはキック力、スピード、基礎体力の面で明らかに周りより劣っていたし、実際楽しくなかったし、プレイに自信の無さが見えていたと思う。チームメイトが活躍し、次々に県選抜選考会に行っている姿に、引け目を感じていた。それでもどこに行っても「おれ得意なんだぜ」的スタンスは変わらないのは、負けを認めたくなかったからだと思う。悪い意味で頑固者だった。

このころから、実力はないが前に出るタイプの自分に対する周囲からの悪意を感じ始める。自分にとってはこれがターニングポイントだと思っている。これといったいじめやわかりやすい嫌がらせではなく、同じグループにいてもあたかも空気であるかのように、自分のことにあえて関心を持たないように意識していたのだろう。当時仲良かった友達は違う小学校のサッカー仲間で、平日でも互いの家の距離は遠いけどよく行動を共にしていた。その仲良しの子とはあえてオーバーに楽しむのに、急に自分の前だとつまらなそうに、あえて空気のような態度を取られていた。その主軸にいた当時の副キャプテンは、実力もあって今思うと陰でチームを操っていたのだと思う。彼からは、おもいっきり無視されることもあったし、相手をしてもらうこともあった。嫌われる理由は、キャプテンなのに、下手くそで、調子に乗っているから。それでも突き抜けていられたらいいのだけど、現実はそうではなかった。

楽しくなくてもサッカーを続けていたのは、応援者である父親の存在があったから。小学生のサッカー少年団では基本週末だけの活動で、練習なら午前、試合ならだいたい一日中縛られる。親父は兄の試合と両方観に来ていた。小さいころから親父のことが好きだったのは、こうして一緒にいる時間が多かったのと、頑張っている自分をサポートしてくれていたのが理由だと思う。親父の存在がなければ中学生に入るタイミングで辞めていたと思う。それはそれで、ブレークダンスとか、手先の器用さを活かした何かに熱中していたのではないかとも思うし、また違った人生になっていたかもしれないと思うとおもしろい。

〇中学時代

小学生から中学生までは同じチームで同じメンバーだけど、高校に進学するとそれぞれのサッカー部に所属しそれまでのチームメイトとは対戦相手になる。このころにはそこまで仲が悪いわけではなかったけど、高校受験を視野に入れるころには僕の目標は決まっていた。「あいつを見返す」ことだった。小学生時代から自分をバカにし、陰で嫌味を言い、周りを操っていた彼とは別の高校に行って、打ちのめすことだった。しかも彼の行く高校はサッカーの強豪校、僕に残された選択肢は県内随一の進学校でサッカーに限らずスポーツが強いという印象はなかった。

〇高校時代

足りない頭でなんとか合格した高校。学校の空気感は勉強熱が強く、中学時代とは異なりピリッとしていた。そんな空気だから最低限の勉強はするけど、それ以上に自分の青春時代はサッカーに捧げていた。このころには小学生時代のような劣等感は薄れ、技術と体力にも自信を取り戻していた。学年が上がるにつれて自信も過剰になっていき、試合に入り込めていないチームメイトを叱咤激励していた。「すごい試合だな」と他校の先生から揶揄されるくらいに、なりふり構わない言動は、当時僕を知る人からは本田圭佑と例えられる。

小学生時代の副キャプテンは、その高校でキャプテンとして、チームを率いていた。僕の目標はここを倒すためで、そこには熱を帯び、自然とチームメイトにも波及していた。
高校サッカー引退まで残り少ない大会で、このチームとベスト4をかけた戦い。僕らのモチベーションは最高潮だった。お互いにライバル意識を持ちプライドをかけた戦いは、2-1の1点差で勝った。内容を見ても完勝で、普段感情を表に出さないチームメイトも一体感を持ってその喜びを噛み締めた。しっかりと目標を定め、それを乗り越えるための努力を続けた結果だった。

その後の決勝をかけた戦いでは、下馬評では有利だったものの、獲得したPKを将来有望な1年生に蹴らせて失敗し、あっけなく敗退した。今となっては酒のつまみになる話で当時のチームメイトに言ったら怒られるけど、後悔は全くないし、むしろ清々しかった。

〇モチベーションの源

サッカーをずっと続けてきた中での僕のモチベーションの源は2つ。

・先行者意識(イニシアティブ)
・劣等感

調べてみると、「イニシアティブ」という言葉が近いと思った。Wikipediaではイニシアティブ(英語: initiative)またはイニシアチブは、開始・先制・率先・先導などの意味を持つ言葉。としている。ビジネスシーンやスポーツのシーンでも使われ、状況の主導権を握り物事を有利に進めるといった意味で使われる。

僕の人生の中で業界や職場を選ぶとき、または何か行動をするときに、「人がやっていないようなこと」「可能性があって普遍的だけど、その価値がまだ世に浸透していないこと」に重きを置いて行動してきた。

そして、他者よりも劣っていることに、他者からバカにされ、蔑まれて、軽視され、「いつか見てろよ」と自然と自分を奮い立たせ内側からの強烈なエネルギーを生む。

そして、他者からの承認も頑張る源でした。「いいね」ボタン押してもらえたらまた書きます!

これからもっともっと人生を謳歌していくために、行動をする上での価値観や、モチベーションの源となるものを、もっともっと深堀りしていきたい。

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