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真面目も休み休み言え


2024年9月10日(火)朝の6:00になりました。

にやにやと笑っているからといって、不真面目と決めてしまうのは間違いだ。

どうも、高倉大希です。




うっかりすると文章は、真面目になってしまいます。

堅苦しくて、暑苦しくて、押し付けがましくなっていきます。


だからと言って、遊びが過ぎるとそれはそれで見てられません。

読んでいるこちら側が、恥ずかしくなってしまいます。


真面目すぎてもダメ、遊びすぎてもダメ。

真面目さと遊び心のバランスが、書き手には求められます。


文章を書くうえでは、イキり成分を適宜、調整したほうがいいんです。イキりすぎると「寒い」「イタい」ことになる。かといって、まったくイキってない文章は、「その人らしさ」が感じられなくてつまらない。

田中泰延、直塚大成(2023)『「書く力」の教室」SBクリエイティブ株式会社


会話と違って文章は、他者の影響を受けづらいものです。

だからこそ、すべてをコントロールしようとしがちです。


気づいたころには真面目になって、読み手のための余白が簡単になくなります。

堅苦しくて、暑苦しくて、押し付けがましくなっていきます。


圧が強い人になんて、誰も近づきたくはありません。

真面目に書いたからといって、真面目に読むとは限りません。


マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、相手の世界にまで心を開いて対話してゆく余裕がないのである。

河合隼雄(1998)「こころの処方箋」新潮社


会話と違って文章は、他者の影響を受けづらいものです。

だからこそ、読み手のことを過剰に意識しがちです。


気づいたころには遊びが過ぎて、読み手のための余白が簡単になくなります。

読んでいるこちら側が、恥ずかしくなってしまいます。


馴れ馴れしい人になんて、誰も近づきたくはありません。

遊び心をもって書いたからといって、遊び心をもって読むとは限りません。


いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。

古賀史健(2021)「取材・執筆・推敲 書く人の教科書」ダイヤモンド社


自分が書いた文章の、ひとり目の読み手は自分です。

読み手としての優秀さが、書く文章に表れます。


ひとり目の読み手は、たいてい実力不足です。

だからこそ、うっかりすると文章は真面目になります。


ほら、今日の文章だって。

真面目すぎて、困ったものです。






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