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真面目も休み休み言え
2024年9月10日(火)朝の6:00になりました。
にやにやと笑っているからといって、不真面目と決めてしまうのは間違いだ。
どうも、高倉大希です。
うっかりすると文章は、真面目になってしまいます。
堅苦しくて、暑苦しくて、押し付けがましくなっていきます。
だからと言って、遊びが過ぎるとそれはそれで見てられません。
読んでいるこちら側が、恥ずかしくなってしまいます。
真面目すぎてもダメ、遊びすぎてもダメ。
真面目さと遊び心のバランスが、書き手には求められます。
文章を書くうえでは、イキり成分を適宜、調整したほうがいいんです。イキりすぎると「寒い」「イタい」ことになる。かといって、まったくイキってない文章は、「その人らしさ」が感じられなくてつまらない。
会話と違って文章は、他者の影響を受けづらいものです。
だからこそ、すべてをコントロールしようとしがちです。
気づいたころには真面目になって、読み手のための余白が簡単になくなります。
堅苦しくて、暑苦しくて、押し付けがましくなっていきます。
圧が強い人になんて、誰も近づきたくはありません。
真面目に書いたからといって、真面目に読むとは限りません。
マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、相手の世界にまで心を開いて対話してゆく余裕がないのである。
会話と違って文章は、他者の影響を受けづらいものです。
だからこそ、読み手のことを過剰に意識しがちです。
気づいたころには遊びが過ぎて、読み手のための余白が簡単になくなります。
読んでいるこちら側が、恥ずかしくなってしまいます。
馴れ馴れしい人になんて、誰も近づきたくはありません。
遊び心をもって書いたからといって、遊び心をもって読むとは限りません。
いい文章の条件としてぼくは、「苦労の跡がどこにも見当たらない文章」や「最初からそのかたちで存在していたとしか思えない文章」を挙げた。
自分が書いた文章の、ひとり目の読み手は自分です。
読み手としての優秀さが、書く文章に表れます。
ひとり目の読み手は、たいてい実力不足です。
だからこそ、うっかりすると文章は真面目になります。
ほら、今日の文章だって。
真面目すぎて、困ったものです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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