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次なるわからないものに出会うため


2024年9月28日(土)朝の6:00になりました。

不安だから、外出できないのではない。外出したくないから、不安を作り出しているのだ。

どうも、高倉大希です。




わかることが増えると、わからないことも増えます。

わかることが増えたおかげで、その先が見えるようになるからです。


わかることそのものに、価値があるわけではありません。

次なるわからないものに出会えるというところに、わかることの価値があります。


だから極端な言い方をすると、すでにわかったことは用済みです。

だいたいのことがわかったら、それはもういいのです。


「論理は考えないためにある」。(中略)たとえば、「木曜日の次は何曜日か」という問いにはだれだってすぐに「金曜日」と答える。実はこれ、とても「論理的」だ。この問題に答えるのに「考える」必要などありはしない。

野矢茂樹(2004)「はじめて考えるときのように」PHP研究所


もちろん、本当の意味でわかることなどありません。

わかったつもりでいるけれど、本当はわかっていません。


でもそのおかげで、次なるわからないものに出会えます。

立ち返るもよし、次に進むもよしです。


このあたりの話は、いわゆる勉強とよく似ています。

わかることが増えるから、より難しい問題に臨むことができるのです。


北川 僕たち物理学者は何がおもしろいかというと、わからないことがおもしろいんです。
深井 わかることがおもしろいんじゃなくて?
北川 いや、わかっていることはつまらないです。

深井龍之介、野村高文(2022)「視点という教養」イースト・プレス


わからないものには、不安がつきものです。

この不安を嫌うからこそ、前述の価値が逆転します。


新しいものは大抵、不安の中に存在します。

おもしろいものも大抵、不安の中に存在します。


不安を嫌ってしまったら、それらには出会うことができません。

安心が増えるから、次なる不安に臨むことができるのです。


集団主義社会では、集団の内部にとどまっている限り安心して暮らすことができます。しかしそのような安心を生み出す集団主義的な行動原理は、実は、集団の枠を越えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまう可能性があります。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。


時は流れ、ものごとは移ろいます。

それならば、変わりゆくことを楽しむしかありません。


わかることは、次なるわからないものに出会うためにあります。

変わりゆくことを、共に楽しみましょう。






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