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名前のない関係


2024年10月19日(土)朝の6:00になりました。

短いがゆえに凝縮された1週間を、無事に半目で乗り切りました。

どうも、高倉大希です。




だいたいのものには、すでに名前がついています。

だからいつだって、名前が先行しがちです。


目の前で起こるものごとは、どの名前に当てはまるのだろう。

そんな問いが、思考の出発点になるわけです。


こうして、名前のない貴重な関係があっという間に失われます。

名前をつける過程が、名前に当てはめる過程へとすり替わってしまうのです。


本プロジェクトにおいてメンバーを募るために行ったことは信頼関係の構築という、古典的で曖昧なものにつきる。ここでいう信頼関係とは、その人が大事にしている一般的で定量的な、数値・数量で表せるものと、個人的で定性的な、数値化できないものの両方になるべく応えようと努めることであり、その人にプロジェクトに参加してもらえないかお願いした時点ですでに決定されているものである。

成田和優(2023)「プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン ー実績・省察・評価・総括ー」カラー


友だちなのか、恋人なのか、先輩と後輩なのか、上司と部下なのか。

わたしたちはすぐに、人と人との関係に名前をつけようとしがちです。


ここにいるのは、あなたとわたし。

本当は、とてもシンプルな関係です。


無理に、何かしらの名前に当てはめる必要はありません。

あなたとわたしの関係を、深めていけばよいだけです。


わさわわざ習わなくても、脳は比例を知っています。遠くにいたらネコだが、近くにいればトラだとは思いません。そんな脳の持ち主は、進化の過程で生じたとしても、すでに虎の餌になっています。見える大きさは、距離で変わる。だから目にはモノサシはついていません。算数の比例は、こうしてものを見ながら育ったおかげで、脳の中に「すでにできている」関係式を、意識が掘り起こしたものです。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


遊びなのか、デートなのか、会食なのか、打ち合わせなのか。

わたしたちはすぐに、人と人とが過ごす時間に名前をつけようとしがちです。


ここにいるのは、あなたとわたし。

本当は、とてもシンプルな時間です。


無理に、何かしらの名前に当てはめる必要はありません。

あなたとわたしの時間を、濃くしていけばよいだけです。


われわれの日常経験的には種々様々な事物があり、それらのものは一つ一つ名をもっている。きまった一つの名前をもつということは、きまった一つの「本質」をもつ—より正確にいえば、きまった一つの「本質」をもつかのように見える—ということにほかならない。

井筒俊彦(1991)「意識と本質」岩波書店


それでも名前がほしくなるのは、社会を生きているからです。

言わば、第三者に説明する必要性が生じるわけです。


あの人とわたしはこういう関係なのだと、説明しなければなりません。

あの人とわたしはこういう時間を過ごしたのだと、説明しなければなりません。


だからこそ、急いで名前をつけなければならなくなります。

こうして、名前のない貴重な関係があっという間に失われます。


絵はおもしろいから、たのしいから描く。「いま描いていること」が目的です。本当はすべてが一致しているはずなんだけそね。絵だけじゃないよ。ほかのことも全部そう。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


社会で生きていく限り、どこかでは必ず名前が求められます。

だからこそ、名前がついていない期限つきの関係を大切にしたいなと思います。


すでにある名前に、無理に当てはめようとするのではなく。

ふたりで名前を、決めていけたらいいのになと思うのです。


ここにいるのは、あなたとわたし。

これが、案外難しい。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。