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やる気のある者は去れ


2024年11月18日(月)朝の6:00になりました。

人間はなにも創造しない。ただ、発見するのみである。

どうも、高倉大希です。




具体ばかりではつまらないし、抽象ばかりでもつまらない。

具体と抽象は、行き来してなんぼです。


実践ばかりではつまらないし、理論ばかりでもつまらない。

実践と理論は、行き来してなんぼです。


「A」を知りたいと思ったら、「A」のことばかりを考えてしまいがちです。

ところが実際は「not A」を知ることが、結果的に「A」を知ることに繋がります。


ものごとをメタ認知するには何かと比較することが欠かせません。自分たちがAであれば、そうではないnot Aを理解しないと、Aのことは理解できない。

深井龍之介、野村高文(2022)「視点という教養」イースト・プレス


やる気のある者は、ものごとの中心しか見ようとしない。

タモリこと森田一義さんの、有名な発言です。


いまは周縁にあるものが、いつかは中心になる。

それをみつけられるのは、遊び心のある人だけだ。


まったくもって、そのとおりだなと思います。

中心だけを見ていても、その価値を捉えることはできません。


無駄をすることよりも、「無駄をした後をどう生きるか」のほうが実は問われているから。やっていることが無駄かどうかの採点は、あまりしないほうがいいのかもしれないと思います。

山口周、糸井重里(2023)『「言葉にしない」ことの意味』HITACHI


これまでは専門家のことを、特定の分野に特化した人だと思っていました。

ところがおそらく、正確に言えばそうではありません。


単純に、ほかの分野に手を出す時間がないというだけなのだろうなと思うのです。

ひとつの分野が奥深すぎて、結果として特化する形になったというだけの話です。


だから、ベテランの専門家ほど周辺領域にまで手を伸ばしていたりします。

研究対象をがらりと変えたように見える人もいて、とても興味深いものです。


なぜ、偉大な研究者はかくも研究分野を変えることになるのだろうか?(中略)おそらくそれは、めざしているところが高いからだと思う。視座の高さは、視野の広さにつながる。つまり、はたから見ていると研究分野を変えているように思えても、当人からするときわめて自然な流れとしてうつっている可能性が高いのだ。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


「A」を知るということは、「not A」を知るということだ。

頭では理解していても、実行するのは難しい。


だって、知りたいのは「A」なんだもん。

興味がないからこその、「not A」なんだもん。


これこそが、やる気が生む弊害です。

「やる気のある者は去れ」とは、本当によく言ったものだなと思います。






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高倉大希
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