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プロフィールが短い人は信頼できる


2025年1月8日(水)朝の6:00になりました。

書く、走る、送る、働く。年明けは、そんな日々です。

どうも、高倉大希です。




アイコンを設定せずにSNSをはじめる人って、一体どういうつもりなんだろう。

ずっと、疑問に思っています。


もしかしたら、荷物が届いてもすぐに開封しないタイプなのかな。

勝手に、想像が膨らみます。


べつに、アイコンを設定しない人のことを否定しているわけではありません。

自分が真っ先に設定するタイプなので、心理の違いにとても興味があるのです。


インターネットという情報の海に埋没した学生部の頃、他者の作品は自分の表現の素材なのだという実感が芽生え、自分自身の表現も他者の創作の糧になりえると、自ずと考えるようになった。言葉を紡ぎ、表現を行うことで、世界や他者との関係が取り結ばれる。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


インターネットの海を漂っていて、気づいたことがひとつあります。

それは、プロフィールが短い人は信頼できるということです。


もちろん全員とはいきませんが、わりと高確率で的中します。

信頼できそうな人のプロフィールを見に行くと、やっぱり短いことが多いのです。


決して、プロフィールが長い人は信頼できないというわけではありません。

あくまでも、短い人は信頼できることが多かったという話です。


音楽会は音楽情報を売ることによって、一種の情報産業として成立するのであるが、それは情報を直接売るというよりは、座席における期待を得るという意味での期待産業なのである。

梅棹忠夫(1999)「情報の文明学」中央公論新社


プロフィールに情報がなくても、投稿を見ていれば自ずとその人を知りたくなる。

きっと、そういうことなのだろうなと思います。


自己紹介は、最初にするものだ。

そんな固定観念がありますが、SNSの場合はどうやらそうとも限りません。


その人の個人的な情報なんて、べつになんだってよいのです。

羅列された肩書きなんて、知ったこっちゃありません。


たとえばデジタルトランスフォーメーション(DX:ITによる変革)とかSDGs(持続可能な開発目標)とか言われて、実際は何も知らないのに、なんとなくわかったような気になってしまう。(中略)考える道具として役立つ言葉が、思考停止の道具になってしまっています。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


必要なことを書くよりも、余計なことを書かないことの方が重要な気がします。

プロフィールで損をしてしまっては、元も子もありません。


やはり、短い言葉を扱うことは難しいなと思います。

10000字よりも400字、400字よりも17字の方が、難易度は高く感じます。


プロフィールって、難しい。

難しいって、平和です。






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高倉大希
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