常識が悩みのタネになり変わる
2024年9月20日(金)朝の6:00になりました。
「わからない」ということは、答えではなくて、問いなのです。
どうも、高倉大希です。
我が子はかわいい、とか。
家族は絆で結ばれている、とか。
疑われづらい常識ほど、恐ろしいものはありません。
そこで思考が停止するので、多くの悩みのタネになり変わります。
我が子はかわいいはずなのに、まったくかわいいと思えない。
家族は絆で結ばれているはずなのに、まったく絆を感じられない。
言い換えるなら、そこにあるべき努力を無視して考えてしまうわけです。
努力が前提なはずなのに、何もしなくても成立すると思い込んでしまいます。
我が子がかわいいと思えるかどうかなんて、人によって違って当然です。
絆で結ばれているかどうかなんて、家族によって違って当然です。
子どもを捨てることが当たり前だった時代だって、事実として存在しています。
家族離散が当たり前だった時代だって、事実として存在しています。
目の前にあるものは、大きく見えます。
ただすこし下がってみれば、小さな点に過ぎないのだと気づきます。
我が子をかわいいと思えるのなら、それに越したことはないのかもしれません。
家族が絆で結ばれているのなら、それに越したことはないのかもしれません。
でもそれは、デフォルトではありません。
いまの時代だからこそ抱いている、ひとつの理想に過ぎないのです。
一般的な「よい」を、無条件で自分の「よい」と重ねてしまうと危険です。
前述のような認識と現実とのズレに、頭を抱えることになります。
ほんとうにそれは、自分にとっても「よい」ものなんだっけ。
仮に一般的な「よい」をよいと思えなかったら、どうすればいいんだっけ。
このくらい悲観的に想定しておいた方が、ものごとは考えやすくなる気がします。
だいたいの「よい」は、そう簡単には決まりません。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。