見出し画像

常識が悩みのタネになり変わる


2024年9月20日(金)朝の6:00になりました。

「わからない」ということは、答えではなくて、問いなのです。

どうも、高倉大希です。




我が子はかわいい、とか。

家族は絆で結ばれている、とか。


疑われづらい常識ほど、恐ろしいものはありません。

そこで思考が停止するので、多くの悩みのタネになり変わります。


我が子はかわいいはずなのに、まったくかわいいと思えない。

家族は絆で結ばれているはずなのに、まったく絆を感じられない。


つまり悩みの原因は僕たちの社会にある常識や価値観なんです。それが原因で悩んでいる人たちが、どうやらたくさんいるらしいんですね。ところが歴史を学ぶと、僕たちを取り巻いている常識や価値観が、決して当たり前ではないと気づけます。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


言い換えるなら、そこにあるべき努力を無視して考えてしまうわけです。

努力が前提なはずなのに、何もしなくても成立すると思い込んでしまいます。


我が子がかわいいと思えるかどうかなんて、人によって違って当然です。

絆で結ばれているかどうかなんて、家族によって違って当然です。


子どもを捨てることが当たり前だった時代だって、事実として存在しています。

家族離散が当たり前だった時代だって、事実として存在しています。


ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよらといってくれることだと思います。だから、先生を見て、「ぼくって、わたしって、ちっちゃいなあ」と思えるような人じゃないとダメなんじゃないかなって思います。

高橋源一郎(2022)「5と3/4時間目の授業」講談社


目の前にあるものは、大きく見えます。

ただすこし下がってみれば、小さな点に過ぎないのだと気づきます。


我が子をかわいいと思えるのなら、それに越したことはないのかもしれません。

家族が絆で結ばれているのなら、それに越したことはないのかもしれません。


でもそれは、デフォルトではありません。

いまの時代だからこそ抱いている、ひとつの理想に過ぎないのです。


こうした傾向の背景には、「同質性の信仰」とも呼ぶべきものがあり、「みんなが容易に『同じ気持ち』を共有できるはずだ」という安易な考え方が、多くの日本人の心の中にあるようです。

岡本薫(2001)『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』明治図書


一般的な「よい」を、無条件で自分の「よい」と重ねてしまうと危険です。

前述のような認識と現実とのズレに、頭を抱えることになります。


ほんとうにそれは、自分にとっても「よい」ものなんだっけ。

仮に一般的な「よい」をよいと思えなかったら、どうすればいいんだっけ。


このくらい悲観的に想定しておいた方が、ものごとは考えやすくなる気がします。

だいたいの「よい」は、そう簡単には決まりません。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。