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自己肯定感なんてちょっと低いくらいでいい


2024年12月1日(日)朝の6:00になりました。

今日から、毎日ランニングを開始します。

どうも、高倉大希です。




日本人は、自己肯定感が低い。

そんな言葉を耳にするようになって、はや数年が経ちました。


自己肯定感が低いから、自己肯定感を上げないと。

いまもなお、自己肯定感という言葉がひとり歩きを続けています。


肯定感だなんて言うものだから、高い方がよいと決めつけてしまいがちです。

でも実際は、ちょっと低いくらいでいいのではないかと思うのです。


30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。

東浩紀(2023)「訂正する力」朝日新聞出版


自分のことをできると思っている人は、なかなかに厄介です。

聞く耳をもとうとせずに、ひとり相撲をはじめます。


「どうしてお前は、俺みたいにできないんだ」

最悪の場合、まわりの人を責めはじめてしまいます。


こうして、当人もまわりの人も辟易する場が生まれます。

そんなことになるくらいなら、自己肯定感が低い人と過ごしたいなと思います。


人は間違える。この世は、つねに正しい人はいない。誰でも失敗を犯す。それに、人は時間とともに考えを変える。それなのに、なぜ、過去と同じ考えを持ち続けないといけないのか。矛盾が生まれることを責められるのか。

安藤広大(2024)「パーフェクトな意思決定」ダイヤモンド社


だからと言って、自己肯定感が低すぎてもそれはそれで厄介です。

「自分なんて…」とくよくよされたら、たまったもんじゃありません。


ちょっと低いくらいがちょうどいいというのは、そういう意味です。

くよくよを乗り越えたくらいが、もっとも魅力的な気がします。


言い換えるなら、自分に向くベクトルが大きすぎない状態です。

自分を大事にしすぎると、自己肯定感の高低が過度なものになりがちです。


「強い/弱い」「善い/悪い」「有る/無い」、すべて、縁しだいで、どんどんかわっていく。自分の「かわらない本質」は成立しない。つまり、不変の「個性」、不変の「性格」、不変の「アイデンティティ」は、ありえないのだ。

しんめいP(2024)「自分とか、ないから。」サンクチュアリ出版


どう転んでも、おもしろくなるはずだ。

どちらかというと、未来の自分を信じられるかが重要です。


いまの自分ではなく、未来の自分です。

変わりゆく未来を楽しめているはずだと、信じられるかどうかです。


自己肯定も何も、いまの自分なんてそんなに大したものではありません。

いまの自分に対する肯定感なんて、ちょっと低いくらいでいいのです。






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高倉大希
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