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めんどくさい人だと思われる


2024年9月6日(金)朝の6:00になりました。

世の中によいことってのは、めんどくさいんだよ。

どうも、高倉大希です。




「なんでそう思ったの?」

その背景に、興味があるから尋ねます。


「なんでって言われても...」

その問いに、相手は困ってしまいます。


困るような質問を、どんどんと投げてくる。

こうして、めんどくさい人だと思われてしまいます。


イヤな上司、住宅ローン、税金の問題、確定申告を先延ばしにしている罪悪感、試験のプレッシャー、面倒な雑事、溜まったメール、記入しなければならない書類の山、日々の通勤など、程度は軽くても継続的なストレスのほうが、間違いなく健康に悪い。そういう生活からいつまでも抜け出せないような感覚に陥るからだ。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 上」ダイヤモンド社


どうやら多くの人たちは、考えたくないらしい。

いろいろな人と話してみて、わかったことのひとつです。


「なんで?」とか、「どうして?」とか。

できるだけ、聞かれたくはないのです。


この人は、聞いてもよい人なのか。

そんなことを考えながら、話すようになりました。


書くときのぼくたちは『手を動かすこと』が面倒くさいんじゃない。『頭を動かすこと』が面倒くさいんだ。なにかを書くためには、それについて真剣に考えなきゃいけない。その手間を、みんな面倒に感じているんだ。書くことは、考えることだからね。

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


本当は、もっと深い話がしたいのだけれど。

本当は、もっと真面目な話がしたいのだけれど。


表面上をたゆたうことが、「楽しい」とされています。

自分の「楽しい」と誰かの「楽しい」は、どうやら違っているらしい。


紛れもないそんな事実に、気づくのが遅くなりました。

自分と相手はべつの人間、違っていて当然です。


そもそも、コミュニケーションとは、わかりあうためのものではなく、わかりあえなさを互いに受け止め、それでもなお共に在ることを受け容れるための技法である。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


誰かにとっての「楽しい」は、自分にとっての「苦しい」で。

自分にとっての「苦しい」は、誰かにとっての「楽しい」で。


そんなの、あんまりじゃないか。

そう思うわけですが、実際問題そんなことだらけなわけです。


「おもしろい」を追求すれば、めんどくさい人だと思われます。

まあ、いいか。






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高倉大希
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