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敬意があるからこそ対等に話す


2025年1月28日(火)朝の6:00になりました。

10冊だけの古本屋さん、これまでに通算37冊の商品を発送しました。

どうも、高倉大希です。




この人の思考には、到底及ばない。

だから、自分ごときが何を話しても仕方がない。


そんなことを思って、なかなか言葉が出てこない時期がありました。

何を言っても間違っているような、そんな気がしていたわけです。


相手からしてみれば、つまらなかっただろうなと思います。

対話がはじまってもいないのに、言葉を勝手に飲み込んでしまうのです。


意見が違うのは当たり前で、だからこそ感情の問題にしないで、互いの着地点を見つけるのが対話なんですよね。その過程で、当事者意識も芽生えてくる。自律が生まれるわけですね。対立することが問題なのではなく、対立してからどうするのか、というところが大事なんですけどね。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


だからといって、迎合されてもそれはそれでおもしろくありません。

肯定の先には、考える余地がないからです。


さすがですね、とか。

すごいですね、とか。


そう言っておけば、相手がいい気分になると思っているのかもしれません。

はたまた、自分の考えを表現することから無意識に逃げているのかもしれません。


他人を否定してはいけないと習うので、誰がどんな意見を言っても、「イエス、イエス、イエス」となり、「そうですね、そういうこともありますね」と同調するだけで終わってしまう。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


黙るわけでもなく、迎合するわけでもなく。

敬意をもっているからこそ、対等に話さなければなりません。


可愛がられる人というのは、大抵ちょっと生意気です。

反対の意見を平気で述べたり、失礼なボケをかましたり。


きっと生意気なのではなく、対等に話そうとしているのだろうなと思います。

へなちょこなりに、自分の考えを表現してみるのです。


あとで結果を見た時、自分の判断が当たっているかどうかがわかることが重要で、とにかくそういうことを繰り返す。なぜそう思ったかということについては、あとで考えればいい。とりあえず中途半端なポジションではなく、極端なポジションを取り、それをできるだけ口に出すようにしているんです。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


変に、簡単な言葉をつかおうとしない。

子どもたちと話すときに、気をつけていることのひとつです。


わたしたちは気を抜くと、簡単に子どもを子ども扱いします。

ひとりの他者として、対等に向き合おうとしないのです。


敬意があるから、対応を変えるのではありません。

敬意があるからこそ、対等に話します。






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高倉大希
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