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カッコいい人の大したことがない部分


2025年1月21日(火)朝の6:00になりました。

片付けが、一向に進みません。

どうも、高倉大希です。




「よっ」

いまでも、はっきりと覚えています。


休日にばったりと出会った、学校の先生の第一声です。

学校だとあんなにも挨拶に厳しい人なのに、「よっ」と声をかけてきたのです。


驚いた顔をしていると、続けて先生はこう言いました。

「いや、俺も休日だからね」


ぼくは、先生の役割って、一つの狭い常識のなかで生きている人に、そうじゃないよと教えてくれて、でも、その答えは自分で見つけなさいよといってくれることだと思います。だから、先生を見て、「ぼくって、わたしって、ちっちゃいなあ」と思えるような人じゃないとダメなんじゃないかなって思います。

高橋源一郎(2022)「5と3/4時間目の授業」講談社


休日だとしても、先生らしく振る舞うのがプロというものでしょう。

もしかしたら、そんな意見もあるのかもしれません。


きっと、アイドルなんかはそれに近い仕事をしています。

いわゆる、偶像というやつです。


ある種、そんな偶像が「よっ」と声をかけてきたわけです。

当時の自分にとっては、とても新鮮な体験でした。


人は信頼する人や尊敬する人からしか価値観を学びません。多くの場合、好きな人からしか学ばないと言ってもよいのかもしれません。ですから、信頼を失った教師が生徒たちにどんな立派なことを述べたとしても、その言葉は生徒たち自身の価値観、生き方に響くことはほぼありません。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


先生も、自分と同じ人間なんだ。

そんな当たり前の事実に、気づく機会になったのです。


「どんなにすごい人でも、家族からすれば大した人じゃない」

ほぼ日の、糸井重里さんの言葉です。


どんなにすごい人でも、遠くから見れば豆つぶのようなものです。

どんなにすごい人でも、近くから見れば酸素や炭素の構造体です。


教師は失敗から何を学んだかを身をもって示す。自らの失敗をさらけ出し、それがいかに学びにつながったかを語り、「私も知らないのだ」と伝えることで、生徒たちは、はっとするような自己への認識の旅を歩みはじめる。

藤原さと(2020)『「探究」する学びをつくる』平凡社


カッコいい人の大したことがない部分を見ると、なんだかとてもホッとします。

自分と同じ人間なんだ、と改めて思います。


きっと誰もが、大したことがない部分をもっています。

社長も、学者も、大統領も、みんな同じ人間です。


うっかりすると、そんな事実をついつい忘れてしまいます。

カッコいい人の大したことがない部分を見ると、なんだかとてもホッとします。






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高倉大希
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