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それは本当に二択なのかい


2024年9月22日(日)朝の6:00になりました。

多数の選択肢を捨てるからこそ、選び取ったものに価値が生まれる。

どうも、高倉大希です。




友情か、恋愛か。

感情か、理性か。


このような問いを耳にするたびに、いつもこう思います。

どうして、はじめから二択なんだろう。


たしかに思考実験の切り口としては、扱いやすいのかもしれません。

しかしその先に続く議論は、大抵はじめの二択の内側だけで行われます。


何が具体で何が抽象かというのは、絶対的なものではなく、お互いの関係性で成り立つものです。つまり、「具体と抽象」という言葉自体が「相対的な関係性」を示す概念であって、絶対的な具体性や絶対的な抽象性があるわけではありません。

細谷巧(2014)「具体と抽象 世界がわかって見える知性の仕組み」dZERO


ふたつを両極に置いたとしても、その間にはグラデーションが存在します。

その両極は仮置きにすぎないので、べつの軸で捉えることだってできるはずです。


それなのに、はじめに設定した両極が絶対的なものとして話が進んでしまいます。

はじめの両極がそもそも間違っていたら、不毛な言い争いにしかなりません。


「やりがいとお金、どっちを優先すべきか」とか。

「私と仕事、どっちが大事なのよ」とか。


思考することで、それぞれの行動の効果を予測したり、過去に別の行動をとっていたら状況はどのように変わっていたかを想像したりすることができ、その結果さまざまな選択肢のなかから有効なものを選べるようになる。

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック(2021)「知ってるつもり」早川書房


二択だということにしたい。

多くの二択には、このような願望が内包されている気がします。


言い換えるなら、相手に期待する回答がはじめからあるわけです。

だから無理やり二択をつくって、答えざるをえない状況に追い込みます。


そもそも、それは本当に二択なのかい。

そう尋ねたくなりますが、きっとそんなことはどうだってよいのです。


もうひとつ大事なのが、「選択肢を確保する」という誘惑に負けないことだ。選択肢を増やすというのは、要するに困難な決断から逃げることにほかならない。

オリバー・バークマン(2022)「限りある時間の使い方」かんき出版


何ごとも、便宜的に分けているにすぎません。

本来はすべてが地続きで、どこかでは必ず繋がっています。


目の前にある分け方が最適かどうかなんて、誰にも保証することはできません。

だからこそ、分かれたものを繋ぎ直す力が必要です。


二択は、その最たる例です。

そもそも、それは本当に二択なのかい。






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高倉大希
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