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「そういう人だよな」でやり過ごせない幼さ


2024年11月22日(金)朝の6:00になりました。

仕事が佳境に入ろうと、毎朝6:00はやってきます。

どうも、高倉大希です。




自分は、とても嫌な思いをした。

だから相手に、ここを直してほしい。


子どもの喧嘩の仲裁に入ると、こんな発言をよく耳にします。

自分ではなく相手に対して、変われと主張するのです。


他者を、変えることはできない。

そんな事実に気がつくまでには、案外時間がかかります。


子どもがケンカをすると、すぐに大人が割って入って仲裁しようとするけど、緊急性が高くないならまずはそっと見ていなさい、と。子どもたちは、人間関係を自分で磨き直す力を持っている。にもかかわらず、大人が「やめなさい」「謝りなさい!」などとすぐに介入するので、人間関係を自力で修復する機会を奪われ、かえって恨みを募らせることにもなるのだと。

苫野一徳、工藤勇一(2022)「子どもたちに民主主義を教えよう」あさま社


悪口を言われるのは、興味をもたれている証拠である。

よく聞く言葉ですが、あながち間違いでもないのだろうなと思います。


「そういう人だよな」でやり過ごせない幼さが、表れているというわけです。

自分と違うところをみつけたら、突っかからないとどうにも気が済まないのです。


他者を、変えることはできない。

そんな事実に気がつくまでには、案外時間がかかります。


人生のなかに存在する多くの対極に対して、安易に善悪の判断を下すことなく、そのなかに敢えて身を置き、その結果に責任を負うことを決意するとき、その人は大人になっているといっていい。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


そうならざるをえない、何かがあった。

どうしても合わない人に出会ったときは、こう考えるようにしています。


その人には、棘のある言葉をつかわざるをえない何かがあったわけです。

その人には、マウントをとらざるをえない何かがあったわけです。


そんな背景を想像しないままに拒んでしまうのは、あまりにも失礼です。

「そういう人である」という事実が、そこにあるというだけです。


いいですか、信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。

古賀史健(2013)「嫌われる勇気」ダイヤモンド社


それなのに、誰かを悪者にして仲間をつくりたくなります。

それなのに、誰かのことを見下して自分が優位に立ちたくなります。


「そういう人だよな」で、やり過ごす。

いい意味で、興味をもたない。


簡単なようでいて、じつは結構難しいことだったりします。

自分の足で立つための、強さがなければ実現しません。






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高倉大希
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