見出し画像

底が知れない人


2024年10月27日(日)朝の6:00になりました。

予想どおりに二日酔い、なるべくして二日酔い。

どうも、高倉大希です。




あなたと、会いたい。

ただそれだけなはずなのに、ごはんでも食べに行こうよと誘います。


ふらりと、外を歩きたい。

ただそれだけなはずなのに、健康のためのウォーキングだと言い張ります。


わたしたちは、理由を欲しがる生きものです。

理由がなければ、動くことができません。


絵はおもしろいから、たのしいから描く。「いま描いていること」が目的です。本当はすべてが一致しているはずなんだけそね。絵だけじゃないよ。ほかのことも全部そう。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


だから、理由を問いかけます。

「なんでそう思ったの?」


はじめは、純粋に理由が知りたいから問いかけているつもりでいました。

ただ最近になって、理由なんてどうでもいいよなと思うようになりました。


べつに、理由そのものが知りたいわけではありません。

その人がどんな理由を選ぶのかが、知りたいのだろうなと思います。


ことばを使うということは、究極の編集行為のようだと感じています。つまり、ことばというのは、資格や聴覚や触覚など、あまたある外界の刺激のある部分をぎゅっと抜き出して表現します。

為末大、今井むつみ(2023)「言葉、身体、学び」扶桑社


この人は一体、どこまで考えているんだろう?

ときどきそんな、底が知れない人に出会います。


掘り下げても、掘り下げても、まったく底が見えません。

これが大人の余裕ってやつかと、思わず感心させられます。


大人ならまだしも、同世代でもときどきそんな人がいます。

何を食ったらそうなるんだと、びっくりさせられてばかりです。


30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


底が知れない人から出てくる理由は、なんだかいつも流動的です。

あらかじめ用意していた理由を、ポケットから出してくるわけではありません。


理由を選んでいるのではなく、選び方そのものを選んでいるようなイメージです。

その場の文脈に合わせて、選び方を変えてきます。


そして、わからないものに出会ったら堂々と「わからない」と宣言します。

「わからない」の先が、底が知れない人の真骨頂です。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。