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暫定解を更新する
2024年10月4日(金)朝の6:00になりました。
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます。
どうも、高倉大希です。
暫定解という言葉が好きで、普段からよくつかっています。
変わりゆく可能性を内包しているところが、とてもよいなと思います。
あらゆるものごとは、暫定的です。
時は流れ、ものごとは移ろいます。
これは決して、現状の解に対して保険をかけているわけではありません。
暫定的であることと、自信をもって言い切ることは、また別の話です。
人間は変化するのですから、当然自分も変化します。しかし、刻一刻と変化する自分というものを、脳はうまく扱えません。そこで脳は、自分というものを無理やり固定しようとします。個人の名前がその典型です。
どうせ変わるのなら、解をもつ必要なんてないのではないか。
ときどき、こんなことを言われます。
言わんとしているとしていることはわかりますが、やはり解は大切です。
現状の解を置いていなければ、そもそもの変化を認識することができません。
変化前と変化後の2点があって、はじめて変化を認識することが可能となります。
1点だけの情報では、変化もへったくれもないわけです。
30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。
こうだと思っていたのに、実際はこうだった。
これを、一生のうちに何回重ねられるかが勝負です。
言い換えるなら、過去の自分を否定できるかどうかです。
ここでいう否定は、決してネガティブな意味ではありません。
暫定解を、相対化して更新する。
過去の自分を否定できるということは、それだけ更新できているということです。
あとで結果を見た時、自分の判断が当たっているかどうかがわかることが重要で、とにかくそういうことを繰り返す。なぜそう思ったかということについては、あとで考えればいい。とりあえず中途半端なポジションではなく、極端なポジションを取り、それをできるだけ口に出すようにしているんです。
きっと、暫定解なんかもたなくたって、生きていくことは可能です。
きっと、暫定解を積極的に更新しなくたって、生きていくことは可能です。
でも、この世は変わります。
自分の望みに関わらず、この世は変わり続けます。
変わりゆくことが前提ならば、更新を楽しめた方がよいでしょう。
これが、いまの暫定解です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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