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暫定解を更新する


2024年10月4日(金)朝の6:00になりました。

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます。

どうも、高倉大希です。




暫定解という言葉が好きで、普段からよくつかっています。

変わりゆく可能性を内包しているところが、とてもよいなと思います。


あらゆるものごとは、暫定的です。

時は流れ、ものごとは移ろいます。


これは決して、現状の解に対して保険をかけているわけではありません。

暫定的であることと、自信をもって言い切ることは、また別の話です。


人間は変化するのですから、当然自分も変化します。しかし、刻一刻と変化する自分というものを、脳はうまく扱えません。そこで脳は、自分というものを無理やり固定しようとします。個人の名前がその典型です。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


どうせ変わるのなら、解をもつ必要なんてないのではないか。

ときどき、こんなことを言われます。


言わんとしているとしていることはわかりますが、やはり解は大切です。

現状の解を置いていなければ、そもそもの変化を認識することができません。


変化前と変化後の2点があって、はじめて変化を認識することが可能となります。

1点だけの情報では、変化もへったくれもないわけです。


30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。

東浩紀(2023)「訂正する力」朝日新聞出版


こうだと思っていたのに、実際はこうだった。

これを、一生のうちに何回重ねられるかが勝負です。


言い換えるなら、過去の自分を否定できるかどうかです。

ここでいう否定は、決してネガティブな意味ではありません。


暫定解を、相対化して更新する。

過去の自分を否定できるということは、それだけ更新できているということです。


あとで結果を見た時、自分の判断が当たっているかどうかがわかることが重要で、とにかくそういうことを繰り返す。なぜそう思ったかということについては、あとで考えればいい。とりあえず中途半端なポジションではなく、極端なポジションを取り、それをできるだけ口に出すようにしているんです。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


きっと、暫定解なんかもたなくたって、生きていくことは可能です。

きっと、暫定解を積極的に更新しなくたって、生きていくことは可能です。


でも、この世は変わります。

自分の望みに関わらず、この世は変わり続けます。


変わりゆくことが前提ならば、更新を楽しめた方がよいでしょう。

これが、いまの暫定解です。






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高倉大希
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