孤独は前提だぜ
2024年7月27日(土)朝の6:00になりました。
孤独な人はあまりに深く苦しんだために、笑いを発明しなくてはならなかったのだ。
どうも、高倉大希です。
名前を授かったその瞬間から、わたしたちは孤独になります。
名前とは、他のものとの差異によって付けられるものだからです。
リンゴとゴリラに差異がなければ、わざわざ別の名前で呼ぶ必要がありません。
両方リンゴ、もしくは両方ゴリラと呼んでしまえば、こと足りるというわけです。
どうも、高倉大希です。
名前を名乗ったその瞬間から、わたしたちは孤独になります。
孤独から逃れたければ、名前を捨てなければなりません。
単体の生命体を目指して、人類補完計画を推進せねばなりません。
もしかすると、それがひとつの理想なのかもしれません。
しかし、目の前にはなかなかそういうわけにもいかない現実が広がっています。
月並みな表現ですが、人生は孤独との闘いです。
生きていく限り、どうせ孤独なのです。
「孤独」は、前提なのだ。
「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。
2000年11月16日に投稿された、ほぼ日刊イトイ新聞 のコラムの一節です。
もとを辿れば、谷川俊太郎さんの言葉なのだそうです。
そうか、孤独は前提か。
この言葉に出会えたことで、ずいぶんと心が軽くなりました。
パートナーがいないとか、結婚していないとか。
言わずもがなですが、そういう話ではありません。
ひとりの人間としてそこに存在する覚悟、という意味での孤独です。
ときには図太くどっしりと、そこに存在してやるのだという覚悟です。
孤独を前提だと捉えられれば、きっと他者の孤独にも寛容になれるはずです。
名前とは、そこに存在してもよいのだという証です。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。