『すずめの戸締まり』は、「理由を聞かない人の助け」と「理由を聞きたがる人の妨げ」で進む
2023年1月1日(日)朝の6:00になりました。
おひさしぶりです。どうも、高倉大希です。
理由が人を動かします。
はじめる理由、やめる理由。
挑戦する理由、諦める理由。
運動する理由、勉強する理由。
生きる理由、死ぬ理由。
理由がないように見える「散歩」でさえ、健康のためだとか、リフレッシュのためだとか。何かと理由をつけたがります。
我々は、理由の種をまき、理由を育て、理由を食べながら生きています。
先日、新海誠監督の最新作である『すずめの戸締まり』を観に行ってきました。
この作品でも「理由」が、物語の鍵を握っています。
たとえばこの「海部千果」という人物は、主人公である「岩戸鈴芽」の言動に対して、深く理由を追求しません。
急いでいると知れば、バイクの後ろに乗せ
困っていると知れば、食事と寝床を提供します。
これらを「彼女の優しさ」として描くことで、視聴者への「理由の説明の重複」を省いています。
ちなみに本作品および過去の作品にも、同様の特徴をもった人物が登場します。
彼ら、彼女らは、理由を問わないという無償の優しさをもって、物語を前に進めます。
一方で、主人公の叔母にあたる「岩戸環」は、とことん理由を聞きたがります。
どこに行ったの!?何をしているの!?
誰といるの!?いつ帰ってくるの!?
これらを「彼女の心配」として描くことで、言動に理由を求める人間の性に寄り添います。
ちなみにこちらも同じく、過去の作品にも、同様の特徴をもった人物が登場しています。
彼ら、彼女らは、理由を問いただすことをもって、物語に起伏を生み出します。
「理由」が関与するのは、何も登場人物に限った話ではありません。
この作品の肝は、おそらくこのセリフです。
『君の名は。』で描かれた、隕石。
『天気の子』で描かれた、豪雨。
『すずめの戸締まり』で描かれた、地震。
「厄災」と呼ばれるこれらのできごとには、人類が認識しうる「理由」がありません。
理由がわからないものに対峙したとき、我々は突如にして無力になります。
だからこそ、物語をつくります。
矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、
この物語には「理由のないものに、物語という理由を与える」という側面と
「理由のないものを、恐れずにそのままの形で受け止める」という側面の
両方が内包されているような気がします。
このnoteを読むことに、理由は問いません。
2023年も何卒よろしくお願い致します。
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