与えてもらうことに慣れている
2023年11月12日(日)朝の6:00になりました。
贈与に気づくことのできた主体だけが、再び未来へ向かって贈与を差し出す。
どうも、高倉大希です。
子どもたちは、与えてもらうことに慣れています。
誰かが与えてくれるのを、いまかいまかと待っています。
なぜなら、できないことがあまりにもたくさんあるからです。
誰かが与えてくれるのを、待つことしかできません。
ごはんを食べさせてもらう、服を着させてもらう、勉強を教えてもらう。
子どもたちが、与えてもらうことに慣れるのは、必然的なことなのです。
与えてもらうことが当たり前になると、徐々に審査員になってしまいます。
要するに、与えてもらったものをジャッジするようになるわけです。
「あの先生の授業がわかりづらいせいで、勉強が嫌いになった」
「お母さんが起こしてくれなかったせいで、約束の時間に遅刻した」
よく耳にする言葉です。
与えてもらったものの良し悪しで、人生が決まると本気で信じてしまうのです。
良いものを与えられたら、ラッキー。
悪いものを与えられたら、アンラッキー。
これだと、すべてが運任せになってしまいます。
ここ数年で流行った親ガチャという言葉にも、このマインドが染み込んでいます。
そして、ついにはこんなことを言いはじめます。
「ああ、なにかおもしろいことが起こらないかな」
外部要因が、人に大きな影響を及ぼすことは事実です。
ただし、当人として外部要因にすべてを委ねてしまうのはまた別の話です。
誰かが与えてくれるのを待っていれば、たしかに楽なのかもしれません。
審査員でいつづけられたら、たしかに楽なのかもしれません。
子どもたちは、与えてもらうことに慣れています。
誰かが与えてくれるのを、いまかいまかと待っています。
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