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思い込みが覆ったそのときに


2024年6月17日(月)朝の6:00になりました。

誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。

どうも、高倉大希です。




思い込みをなくして、フラットに捉えよう。

近年、このような考え方が主流になりつつあります。


とくに異論はないのですが、このままでは思い込みが悪になってしまいます。

大切なのは、思い込みが覆る瞬間です。


思い込みが覆ったそのときに、好奇心が生まれます。

そもそもの思い込みがなければ、覆りようもありません。


学問をするとは、目からウロコが落ちること、じぶんのみかたがガラッと変わることです。自分がガラッと変わると、どうなるか。それまでの自分は、いったい何を考えていたんだと思うようになります。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


選択問題で、なんとなく①を選んだけれど答えは②だった。

これでは、なんの学びにもなりません。


絶対に①が、正解でしょ。

そう強く信じていたのに、答えは②だった。


どうして②が正解なのだろう、①のどこが違うのだろう。

思い込みとの差分によって疑問が生じるからこそ、学びが広がってゆくわけです。


30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。

東浩紀(2013)「訂正する力」朝日新聞出版


思い込みそのものを悪だと捉えると、間違いを恐れるようになります。

間違いを恐れるようになると、前述のように学びがなくなってしまいます。


いちばんの理想は、更新することを前提とした思い込みをもち続けることです。

言い換えるなら、自分にとっての暫定解を明確にし続けるということです。


思い込みを大事に抱えて、意固地になってはなりません。

自信がないことを言い訳に、思い込みをもたないのもいけません。


あとで結果を見た時、自分の判断が当たっているかどうかがわかることが重要で、とにかくそういうことを繰り返す。なぜそう思ったかということについては、あとで考えればいい。とりあえず中途半端なポジションではなく、極端なポジションを取り、それをできるだけ口に出すようにしているんです。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


思い込みをなくして、フラットに捉えよう。

矛盾するように聞こえますが、そのためにも思い込みが必要です。


思い切り偏って、学んでは、訂正し。

別方向に偏って、学んでは、訂正し。


結局は、これのくり返しです。

そもそもの偏りがなければ、訂正しようもありません。






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