
思い込みが覆ったそのときに
2024年6月17日(月)朝の6:00になりました。
誰もが自分の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる。
どうも、高倉大希です。
思い込みをなくして、フラットに捉えよう。
近年、このような考え方が主流になりつつあります。
とくに異論はないのですが、このままでは思い込みが悪になってしまいます。
大切なのは、思い込みが覆る瞬間です。
思い込みが覆ったそのときに、好奇心が生まれます。
そもそもの思い込みがなければ、覆りようもありません。
学問をするとは、目からウロコが落ちること、じぶんのみかたがガラッと変わることです。自分がガラッと変わると、どうなるか。それまでの自分は、いったい何を考えていたんだと思うようになります。
選択問題で、なんとなく①を選んだけれど答えは②だった。
これでは、なんの学びにもなりません。
絶対に①が、正解でしょ。
そう強く信じていたのに、答えは②だった。
どうして②が正解なのだろう、①のどこが違うのだろう。
思い込みとの差分によって疑問が生じるからこそ、学びが広がってゆくわけです。
30歳、40歳になったら20歳のころと考えが違うのは当然だし、50歳、60歳になってもまた変わってくる。同じ自分を維持しながら、昔の過ちを少しずつ正していく。それが老いるということです。老いるとは変化することであり、訂正することなのです。
思い込みそのものを悪だと捉えると、間違いを恐れるようになります。
間違いを恐れるようになると、前述のように学びがなくなってしまいます。
いちばんの理想は、更新することを前提とした思い込みをもち続けることです。
言い換えるなら、自分にとっての暫定解を明確にし続けるということです。
思い込みを大事に抱えて、意固地になってはなりません。
自信がないことを言い訳に、思い込みをもたないのもいけません。
あとで結果を見た時、自分の判断が当たっているかどうかがわかることが重要で、とにかくそういうことを繰り返す。なぜそう思ったかということについては、あとで考えればいい。とりあえず中途半端なポジションではなく、極端なポジションを取り、それをできるだけ口に出すようにしているんです。
思い込みをなくして、フラットに捉えよう。
矛盾するように聞こえますが、そのためにも思い込みが必要です。
思い切り偏って、学んでは、訂正し。
別方向に偏って、学んでは、訂正し。
結局は、これのくり返しです。
そもそもの偏りがなければ、訂正しようもありません。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
いいなと思ったら応援しよう!
