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だいたいはなんでもない日


2024年5月9日(木)朝の6:00になりました。

これが生活なのかしらん、たずねたくなるときがある。

どうも、高倉大希です。




さぞ、刺激的な日々を送っているのだろう。

毎日書いていると、こんな勘違いをされることがよくあります。


刺激的な日々を送っている → ネタが多い → 毎日書き続けられる。

きっと、こういうロジックなのでしょう。


結論、だいたいはなんでもない日です。

働いて食って寝たら、1日が終わります。


今日も元気だ、虫がいた。それが生きているということで、それ以上なにが必要だというのか。世界をわかろうとする努力は大切である。でもわかってしまってはいけないのである。そこの土俵際が難しい。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


SNSの普及によって、他者の生活が目に見えるようになりました。

正方形に切り取られた一部が、その人の全部であるかのような錯覚を起こします。


だいたいは、なんでもない日です。

あなただって、そうであるはずです。


結局はそんな何でもない日の中で、何を考えるかが分かれ目です。

特別なことがなくたって、得られるものはいくらでもあるはずなのです。


僕らが話をするのを聞いて、どうしてそんなおもしろい経験ばかりしているのだろうと、一般の人は思うかもしれない。けれど、それは違う。僕らだって、普通の人と同じように平凡な普通の毎日を生きている。その日常の中から、素材を見つけ出し、料理しているだけなのだ。

島田紳助、松本人志(2003)「哲学」幻冬舎


何か、おもしろいことが起こらないかな。

これが、かつての口癖でした。


すべては、起こるできごと次第です。

自分の人生であるはずなのに、気がつけば運任せになっていました。


そんなときに出会ったのが、寺田寅彦さんの『柿の種』という随筆集です。

この note のマガジンの名前も、ここから拝借しています。


宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつのまにか自分の手は一塊の土くれをつかんでいた。そうして、ふたつの眼がじいっとそれを見つめていた。すると、土くれの分子の中から青雲が生まれ、その中から星と太陽が生まれ、アメーバと三葉虫とアダムとイブが生まれ、それからこの自分が生まれて来るのをまざまざと見た。

寺田寅彦(1996)『柿の種』岩波書店


そこからというもの、たくさんの人の随筆を読みました。

随筆には、その人の視点がそっくりそのまま表れます。


特別な日の、特別なことが書かれているわけではありません。

何でもない日の、何でもなさが見事に書かれているのです。


棄てた一粒の柿の種、生えるも生えぬも甘いも渋いも畑の土のよしあし。

だいたいは、なんでもない日です。






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