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文章と年齢


2024年10月13日(日)朝の6:00になりました。

5連休3日目、会いたい人に会いに行く旅スタートです。

どうも、高倉大希です。




この文章は、若すぎる。

そう思って、書きかけていた文章を消すことがよくあります。


妙な熱が、残っていたり。

真面目すぎて、つまらなかったり。


あまりにも尻が青くて、嫌になってしまいます。

そんなときは遠慮なく、全選択して消去します。


読者は、あなたに興味がない。読者にとって、あなたの書こうとするテーマはどうでもいい。冷徹な現実だ。しかしこの現実を認めるところからしか、始まらない。

近藤康太郎(2023)「三行で撃つ」CCCメディアハウス


歳相応の文章というものが、あるような気がするのです。

ここで言う歳とは、必ずしも実年齢を指すわけではありません。


ポエムのような文章を、書きたくなる歳があったり。

自分だけがわかっているかのような文章を、書きたくなる歳があったり。


書くという行為に対する歳を、どれだけ重ねてきたかです。

ある程度は実年齢とも一致するはずですが、必ずしもぴったりだとは限りません。


自分の言葉が相手に理解されているかどうかについて鋭敏な感覚をもち、理解されていないことを嫌がらずに謙虚に受け止め、理解してもらうにはどうすればよいかを本気で考える。何度も何度も、そんな経験を繰り返さなければならない。

野矢茂樹(2018)「大人のための国語ゼミ」筑摩書房


書けば書くほど、露呈します。

よいところもわるいところも、すべてがバレてしまいます。


何にこだわりをもっているのか、とか。

何に憧れを抱いているのか、とか。


いくつかの文章を読めば、おおよその歳がわかります。

内容から読み取るということではなく、書きぶりに歳がにじみ出るという話です。


『わたしの日記』やら『うちの赤ちゃんの写真』も含めて、認める立場です。出てしまったものは出してしまえばいいと思います。自己満足が表出することを、ぼくは肯定しています。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


若すぎると思って、消すことがある。

冒頭ではこのように述べましたが、べつに若いことがわるいわけではありません。


誰しもが、若さから出発します。

大切なのは、修正をくり返してしっかりと歳を重ねることです。


大人になったら、子ども服は着れません。

油ものがキツくなり、おいしいと感じるものも少しずつ変わっていきます。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。