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悪口の効用


2024年6月13日(木)朝の6:00になりました。

言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。

どうも、高倉大希です。




悪口が、昔から苦手です。

いい人ぶっているように聞こえますが、本当に他意はありません。


どうして、人はこんなにも悪口を言うのだろう。

ずっと、疑問に思っていました。


そんなときに、1冊の本に出会います。

河合隼雄さんの「大人になることのむずかしさ」という本です。


われわれは自分の克服しなくてはならない影の部分に対して、それと直面する苦しさをまぎらわすために、影の部分を共有する人間関係をもち、自分の影の部分を不問にして、他人を笑いものにしたり、他人を攻撃したりして「固い友情」を誇っているときがある。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


なるほど、悪口を言うことで自分のことを守っているのか。

他者をバカにすることで、自分はバカじゃないと主張しているのか。


いま考えれば、そりゃそうだよなという話です。

しかし、当時の自分にとっては結構な衝撃でした。


たしかに誰かの悪口は、他者と仲良くなる上でとても便利なアイテムです。

その悪者の被害者として、お互いに肩を組むことができるからです。


私の考える敗者というのは、失敗を犯しても反省せず、教訓も学ばず、失敗を恥ととらえる人たちだ。新しい情報を活かすのではなく、保身にに回り、前進する代わりに失敗の言い訳をする人たちだ。そういう連中はたいがい、自分を大がかりな陰謀、卑劣な上司、悪天候の“被害者”だと考えている。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 上」ダイヤモンド社


他者をバカにすることで、自分はバカじゃないと主張する。

一緒に他者をバカにすることで、自分たちはバカじゃないと認め合う。


そう考えると、悪口を言う人も不安なのだろうなと思います。

ひとりでは不安だからこそ、共通の悪者を仕立てるわけです。


なんだかちょっぴっり、可哀想な話です。

決して、煽っているわけではありません。


ときどき、「プロのフリをしたプロ」っていうのがいます。プロでありながら、プロとしての生き方をしていないので、他のプロへの尊敬ができず、他のプロの悪口を言ったり、素人の前でプロぶったりします。プロは、プロぶらないです。ニセプロにはお気をつけください。

小林賢太郎(2024)「表現を仕事にするということ」幻冬舎


悪口を言ってはいけません。

これまでの仮説を前提とするならば、悪口自体を禁止しても仕方がありません。


悪口はあくまでも、氷山の一角です。

海面に表出しているから、目立って見えるというだけです。


悪口の元には、当人の不安があります。

悪口を言いたいのではなく、悪口に頼らざるをえない状況があるのです。






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高倉大希
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