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まあ、べつに本気じゃないから


2024年10月12日(土)朝の6:00になりました。

有給休暇を駆使した、5連休の2日目が幕を開けました。

どうも、高倉大希です。




がんばったけど、できなかった。

わたしたちが、もっとも避けたい結末のひとつです。


がんばれば、がんばるほど。

この結末を避けたいという気持ちは、大きくなります。


だからこそ過程では、本気を出さないという道を選びます。

言い換えるなら、言い訳の余地を残したくなるということです。


私の考える敗者というのは、失敗を犯しても反省せず、教訓も学ばず、失敗を恥ととらえる人たちだ。新しい情報を活かすのではなく、保身にに回り、前進する代わりに失敗の言い訳をする人たちだ。そういう連中はたいがい、自分を大がかりな陰謀、卑劣な上司、悪天候の“被害者”だと考えている。

ナシーム・ニコラス・タレブ(2017)「反脆弱性 上」ダイヤモンド社


本気を出していないから仕方がないと、自分に言い聞かせようとします。

テスト前に、「勉強していない」と言いたくなるのはきっとこういう理由です。


マラソンンなんかも、同じです。

もちろん仕事も、同じです。


本気を出さないのは、めんどくさいからでもしんどいからでもありません。

結果が出たあとに、恥ずかしい思いをしなくてもいいようにするためです。


私たちの日常的な推論が、形式よりも内容に依存することは、ここであらためて強調きておいたほうがよいと思われる。特に、論理的に考えたほうがよいときに、内容によって論理的なおかしさに気づかないで、勘違いをしたり、人に言いくるめられてしまうことは少なくない。

市川伸一(1997)「考えることの科学」中央公論新社


べつに「本気を出しましょう」という、暑苦しい話がしたいわけではありません。

だいたいは、そういうものだよねという話です。


ほとんどの感情には、何かしらの理由があります。

自分にとって都合がいい、何かしらの理由があります。


この理由を解明しなければ、いつまでもその先に進むことができません。

「もっとがんばる」という、感情論でしか立ち向かうことができなくなります。


努力しても解決がないと嘆いている人は、そのために、「自分の努力が足りないからだ」と不必要に自分を責めたり、「こんなに努力しても解決しないのは、××が悪いからだ」と考え、他人や組織やいろんなものを恨んでみたり、要するに自分の苦しみを倍加させている、ということである。「努力によって、ものごとは解決する」という考えのために、自らを不必要に苦しめているのである。

河合隼雄(1998)「こころの処方箋」新潮社


本気なんて、出さない。

そんな道を選びたくなるのは、極めて必然的である。


大切なのは、この前提からものごとをはじめることです。

本気をデフォルトに考えると、おかしなことになっていきます。


言い訳の余地を残すためにも、本気は出しづらいようにできています。

そんな前提の先でどうするかは、各人の問題なので知る由はありません。






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高倉大希
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