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世界は眩しいほどに輝いていたのに
自閉症を研究したハンス・アスペルガーは、自閉症の肯定的な面を見ました。
彼は言いました。
「正常でないからといって劣っているわけではない」
「独創的な思考と経験で驚くべき成果を上げうる」と。
でも彼はナチスの協力者でした。生きる価値のない子を選別していました。
ナチスの言う生きる価値のない人とは障害者、不治の病の患者、精神疾患者などでした。わずか80年前、自閉症は生きる価値のない病気でした。わずか80年前、私とジョフンは生きる価値のない人間でした。
今も数百人の人々が「障害者じゃなく医大生が死んだのは国家的損失」このコメントにいいねを押します。
それが私たちが背負う この障害の重さです
私も、わずか80年前生きる価値のない人間だった。
「それが私たちが背負う、この障害の重さです」という言葉にとても納得した。
それは、障害者の存在を否定するという意味ではなく、障害者はそれだけのリスクを抱えて生きているという意味。
私は、うつになって初めて障害の重さを実感した。私はADHDとASDの併発型なのだけど、きっと障害がなければうつ病にはなっていなかっただろうと思う。障害があったから、人と同じ環境にいても、人よりストレスも、疲労の蓄積も倍だった。人と同じ結果を出すには、人の倍の努力が必要だった。うつ病になる前からあった強迫観念も、障害によるものなのだろうと思う。
障害という生きづらさを抱えて優等生らしくいるのは、あまりにも負担が大きすぎた。
障害を隠して隠して、どこまでも自分を取り繕って、人と同じであろうとするのは辛かった。
診断はされていないけれど、私は少しだけ、学習障害みたいな部分も持っている。
計算が苦手で、未だに「5+7」みたいな問題は、手を使って計算したりしてる。
繰り上がりというシステムがとても苦手なのだ。そんな私が偏差値73の学校で、優等生として生活するのは、ほんとうに大変なことだった。
でも、大変な時期でもあったけど、すごく輝いていて、キラキラしていた時期でもあったと思う。当時は、障害を自覚していなかったし、無意識に取り繕っていた。その負担は確実に私の心身を蝕んでいたけど、優等生でいられる自分、それに向かって努力している自分に心からの満足と達成感があった。
あの頃に戻りたい。無邪気にひたすら努力できていた自分に戻りたい。そう何度も思った。
でも、人生において、「戻る」なんてことはないのだと、うつ病になってから知った。
「戻る」のではなく、「生まれ変わる」べきなのだと実感した。生まれ変わって、また、努力できる自分に戻れたらそれが一番いいのだけど、どうなるかわからない。もう、あの頃の自分に戻れることはないのだとわかったとき、私は、私が持っていた1番大切なものを失ってしまったのかもしれないと思った。
なんだってできて
何者にでもなれて
それでいて
自分でいられたあの頃
世界は眩しいほどに輝いていたのに
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