仕組みで覚える世界史(実質日本史)④実は大事な法的正当性

前近代の社会は、全国に領主がいっぱい散らばっていて、この人たちから支持を得ることが、中央政府の政権運営には重要でした。

こうした社会で重視されたのは法的正当性や大義名分です。

★力こそすべて、という先入観
私が歴史に詳しくない時は、法的正当性が大事と言われてもピンと来ませんでした。

武士の時代などは力で解決しているイメージがあるからです。

実際にそういう側面は否定出来ません。しかし、歴史を調べていくと、思ったよりもずっと、法的正当性や大義名分が重視されているのです。

★大義名分ー織田信長の場合
例えば、織田信長も大義名分立てて戦った人物でした。

信長の家系はいまの愛知県の西半部に当たる尾張国の領主ですが、一国を支配するにしては、ちょっと身分が低い。

かなーり大雑把に説明すると、尾張国にはまず守護がいます。県知事みたいなものですね。

その下に守護代が2人いました。副知事みたいなものです。

信長の家系は、その守護代の家来でした。

なので、尾張国を支配するだけでも、

①守護
②上司である守護代
③別の守護代

から、支配権を奪う必要がありました。

守護と守護代が揉めごとを起こして、守護が逃げてくると、織田信長はこれを保護します。

そして、守護のため、という旗印を掲げて、②と③を滅ぼし、尾張国での地位を確固たるものにします。

守護は自分が操り人形であることを嫌がり、別の領主の力を借りて、信長を追放しようとしますが、この動きを事前に察知した信長は知事を追放し、尾張国の支配者になりました。

★統治ツールとしての正当性
尾張国にはたくさんの領主がいました。

織田信長はその領主の1人でした。

守護や守護代は領主たちを支配する法的資格があります。

なので、領主たちも、自分たちが支配されることに、心の中で思うことはあるにしても、「法的資格があるから仕方がない」となりやすい。

一方、信長が尾張国を支配するには、2階級くらいランクが低い。

一国を支配するという意味では、法的立場が弱いので、「ぐへへ。たくさんの土地が欲しい。土地を寄越せ」といって、法的な対策を何もせずに侵略行為を始めた場合、領主たちは「俺達と同じような身分なのに、なんでお前に支配されなアカンねん! 絶対好きなようにさせんわ!」となって、団結して、激しい抵抗を受けてしまう。

一方、大義名分を掲げられると、「本心では守護のことなんて、どうでも良いと思ってるくせに!」と思いながらも、「なんですか? 守護のために働く私に文句があるんですか? それは守護に逆らうことと同じではありませんか? 逆らうなら討伐しますよ?」というロジックで責められるので、心の中で「ぐぬぬ」と思いながらも、支持せざるを得なくなる。

なので、大義名分や法的正当性が整っていると、他の勢力を支持している領主を切り崩しやすくなったり、自分を支持している領主が、寝返りにくくなったりします。

なんとなく、地位や名誉を欲しがる人は強欲に見えて、「あーあ」となるかもしれませんが、地位や名誉を手に入れないと、領主たちを指導し、政権運営をしていくことが困難になるのです。

★後鳥羽上皇の失敗
しかし、法的に正しいだけでは、厳しい結果になることもあります。

後鳥羽上皇は北条義時を討伐せよという院宣(いんぜん)を出しました。院宣とは上皇の命令文であり、法的な正当性は絶大です。

上皇はこの法的正当性が絶大な院宣さえ出せば、御家人たちの支持を得られると考えていました。

ところが、鎌倉政権は結束、上皇軍は大敗を喫し、上皇は院宣を取り消しました。それでも幕府は厳しい態度を取り、隠岐の島に島流しになりました。

このように、軍事力による裏付けなどがない場合、法的正当性は脆くなります。

★源頼朝の場合
源頼朝の場合も見てみましょう。 

源頼朝は平治の乱で負け組となり、処刑されそうになりました。

まだ少年だったので、死刑にするのは可愛そうだということになり、命は助かったものの、伊豆国で軟禁生活を強いられます。

青年になった頼朝は、平清盛に対して反乱を起こすと、南関東の領主たちの支持を集めて、一大勢力を築きます。

京都では木曽義仲が清盛の息子たちを追い払いますが、寄せ集め軍団の義仲軍は素行が悪く、京都の治安は悪化します。

朝廷は頼朝に対して京都に来るように言いますが、頼朝はあれこれ理由を付けて鎌倉を離れません。

そこで朝廷は、頼朝の少年時代に停止した、頼朝の朝廷における身分を回復します。

また寿永二年十月宣旨という公式文書で、頼朝の南関東の支配に法的保証します。

頼朝は木曽義仲を倒し、さらに清盛の子どもたちとの戦いを進めます。

その過程で、頼朝は朝廷内で身分を上昇させ、頼朝個人のオフィスが、法的な資格を満たし、鎌倉幕府の役所になっていきます。

訴訟機関も設置され、鎌倉政権は官庁としての体裁を整えていきます。

頼朝と弟の義経が対立すると、義経は頼朝討伐令を朝廷に請求、強大化する頼朝を警戒した朝廷は、頼朝討伐令を出しますが、ブチギレた頼朝が大軍を率いて上洛すると、朝廷はこれを撤回、頼朝は義経討伐令と、守護・地頭の設置権を請求、後ろめたさのある朝廷はこれを認め、頼朝はさらに法的権限を拡大させます。

ここでも、軍事力が弱いと、討伐令が撤回されることが確認出来ますね。

東北も支配下に治めた頼朝は征夷大将軍という軍事的な資格も得ました。

★大河ドラマが面白くなる
今回は日本史に話を絞りましたが、法的正当性を巡る駆け引きが理解出来ると、日本史は言うに及ばず、世界史の法律や制度も理解しやすくなります。

また大河ドラマの見方も変わります。

あまりこういう駆け引きが分からない時は、合戦がメインディッシュのように感じます。

しかし、法的正当性を巡る駆け引きや、支持層の切り崩しが理解出来るようになると、悪そうな政治家の腹の探り合いや化かし合いが理解出来るようになり、メチャクチャ楽しくなります。

たいていこういう役は、実力派のベテラン俳優さんがやるので、お芝居の見応えも十分だし、「脚本や演出も力が入ってるなぁ(笑)」となるので、是非、覚えてください!












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