野良学芸員が「写本 いとも優雅なる中世の小宇宙」に行きました 2
この記事は1からの続きものです。
突然告白しますが、今回は自分の写真の下手さにかなり落ち込んでおりまして、展示室に多数の鑑賞者さんがいらっしゃってしっかり正対できない局面が多かった、遠慮しつつ撮影していた、などの言い訳はあるのですが、それにしても酷くて…
本当に申し訳ありませんm(__)m
結論としては、お詫びしつつ掲載させて頂きますが(無いよりは…と)、後日なんらかの方法でもう少し良いビジュアルに更新できるようにいたします。
あまりにも下手なのでもういっそこの記事のアップ自体をとり止めようかと思ったのですが、それはそれでどうかとも思い(既に1を読んで下さったもおいでですし)、大変なお目汚しで申し訳ありませんが、よろしければお付き合いください。
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展示は続きます。
◆ミサのための写本
◆聖職者たちが用いたその他の写本
◆時祷書
じとうしょ、と読みます。
聖職者ではない一般人向けの聖務日課が書かれた本、つまりお祈りなどに関する一日の時間割が書かれた本です(年間の聖務日課が書かれたものもあります)。
文字だけでなく、写真⇩のように美しい絵がふんだんに使われたものも。
貴族向けの美術品のような時祷書もあります。
◆印刷写本
◆暦
◆世俗写本
◆教会法令集
カトリック教会が、組織運営や信徒たちの信仰や生活について定めた法文をまとめたものです。
そして最後に、これらをコレクションされた内藤裕史氏のメッセージ。
ミュージアムショップでお買い物をして…
この日は用事があり、残念ですが常設展は観ませんでした。
外に出ると…
国立西洋美術館さん、今回も本当にありがとうございました!
と、いつもならここでレポート終了なのですが、よろしければあと少しだけお付き合いください。1でも少し触れた、どうして私が中世の写本に惹かれているか、なのですが…
繰り返し見る夢があるのです。
私は中世とおぼしき時代、中年のおじさん僧侶で、現在のドイツあたりの教会にいます。
教会は戒律ばかりが厳しくて、みんななんだか青白い不健康な顔をしており、つまらなそう…。
私は
「神様に仕えるってもっと喜びに満ちたものだと思っていたのに。
…なんかちがう。ここは居づらいな」
と思っています。
立場は、一番偉いわけではないけれどまあまあ偉い、くらい(中間管理職?)。親しいひと(僧侶仲間の友達)はいますが、友達も楽しそうではありません。
時折
「ここ(教会)はいやだから市井に出ようかな…」
と思うこともあるのですが、まちでは商人がいかに儲けるかに血道をあげていて(当然なのですが)、困った人からなけなしの金を巻き上げたりする場面に出くわすこともあり、それもいやだな…と。
そこからしばらく時間(シーン)が飛んで…
結果的には、私は教会を辞め、まちから少し離れた森に朽ちかけた小屋を見つけ、ひとりでそこに住むことにします。
食べるものは自分で作ったり集めてくる、自給自足の生活。空いた時間は書き物をしています。
動物が沢山いるし、たまに友達も来てくれるので全然寂しくありません。
心は以前よりずっと落ち着いていて、充実しています。
でも…
夜に、森からまちの光が見て思うのです。
「ここは快適だけど、でも自分は逃げたのかもしれないな…」
本当は、人間関係や戒律に苦しみつつも、里で神の道を実践すべきだったのでは…と。
でもあそこは面倒だし、なんかやることなすこと本質的じゃなんだよな~…とも思っています。
夜ですが傍らにはよく懐いた動物が寄り添ってくれていて、それが心を温めてくれます。
私は小屋で一文字一文字、心を込めて文字を書いています。
自分が死んだらこれは埋もれてしまうのだろうけれど…もしかしたらこの文章の一部は残るかもしれない…ま、期待しないけどね(笑)…と思っています。
(夢、終わり)
夢は眠っているとはいえ、自分ごと。
自分の体験になります。
こんな「経験」をしているせいか、私は中世の写本を見ると不思議な懐かしさを覚え、理屈抜きの親しみを感じ、時間を忘れて見入ってしまうのです。
宗教的な内容が多いこともあり無記名で、作家不詳の作品が多いことにも安らぎを感じます。
描く人達に承認欲求がないわけではなかったのでしょうが、当時の「仕事」とはそういうものであり、使命感のようなものもあり…「自分(エゴ)」を打ち出さないからこその混じりけのない描く愉しみが伝わってくる気もします。
写本の随所に見られる遊び心、明らかに「内容とは関係無いだろうよ(笑)」と思われる絵柄にすら「神」を感じるのは、描く人達の純粋さが伝わってくるからかもしれません。
まさに「神は細部に宿る」。
私は中世写本に惹かれるあまりラテン語にも興味が出てしばらく習っていたこともありましたが(ラテン語については動植物の学名が読みたいとか、他にもいくつか動機はありましたが…)、結果的には難し過ぎて全然読めません。
でもなぜか今でも好きで、つい読もうとしてしまいます。
本当に…理由がよく分からない、時空を超えた「恋」のようなものです。
そういえば学芸員をしていた時に、先輩や同僚に
「どうして学芸員になったのですか?」
とか
「いろいろなジャンルがある中で、なぜ日本画を、それも〇〇時代のこの作家を研究しているのですか?」
などと聞いてみると、もちろん明確な「答え」がある方もいらっしゃるのですが、
「うーーん、なんだろうね。なんか、やらなきゃと思ったんだよね」
とか
「うーーーん、いやよく分からないけど、なんでだろう? 寧子さんは?」
とか
「うーーん、たまたまだけど、でも大好きで、好きに理由はないからねえ」
などの漠然としたお返事を頂く事も少なくなく、こんな感じなのに結構な難関の学芸員になれちゃうし(皆さん院卒で優秀な研究者です。私は学部卒だし、なりゆきで働かせてもらった密入国者的な存在でしたが、それはまた別の話で…)、素晴らしい業績をあげておられるし、仕事とひとの関係って奥が深いな…と思ったものです。
よく分からないけれど好きって、強い。
意外と、無敵。
なので私は「なぜか好きなもの」、「問答無用で惹かれるもの」にとりあえず付き合ってみるのは、とても大事だな…と思っています。
そこには、何か自分に必要なものが必ず埋まっているから。
しばらくそれに浸って「違う」と思ったら離れればいいだけですし。
というわけで、ここまで長々とお付き合い頂き、どうもありがとうございました。
もうすぐ秋。
皆様も「よく分からないし詳しくもないけれど、なぜか気になる展覧会」、「不思議と胸騒ぎのする本や映画」、お気軽に、ふらっと、近寄ってみてはいかがでしょうか?
私も近いうちまたどこかに出かけようと思います。
さて野良犬…じゃない野良学芸員、次はどこに行きましょうか…?
最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。私のnoteはすべて無料です。サポートも嬉しいですが、「スキ」がとても励みになります(^▽^)/